四神封印

    




 四正国の一つ――紅南国にある至t山は、山賊の住まいとして国内では名の知れた山である。
 元々知名度はあったが、ある機を境にそれは飛躍的に上がった。二年ほど前、至t山に住まう山賊の一人が伝説の七星士――南方朱雀七星宿の星の一つであるという噂が国内中に広まったからだ。
 南方朱雀七星宿――それは異世界から降臨するといわれる伝説の『朱雀の巫女』を護るために選ばれた、七人の人間のことを指す。
 巫女は必ず国が窮地に陥った時に現れ、それを救う為に降臨するのだと言い伝えられてきた。そして四年前、『朱雀の巫女』は他国との情勢が不安定なこの紅南国に降臨し、己を護るべき役目を与えられた七人の人間を探し集めて、この国の守護神である神獣・朱雀を召喚し、国の危機を救った。
 だがその事実を、そして四年前のこの国の危機に関する一部始終を正しく知る人間は、ごく僅かしかいない。
 降臨した『朱雀の巫女』はすぐに七星士の一人でもあった当時の皇帝・彩賁帝に匿われ、以後その行動、足跡そくせきは一般市民の知る由もないこととなる。
 四年前に勃発した隣国である倶東国との戦争は、巫女や七星士の活動と深く関わっているのだが、ほとんどの民は戦争が起こった経緯も、いつの間にか治まった理由も知らなかった。
 しかし今では逆に『朱雀の巫女』と七星士の話を知らない民は皆無であるといっていい。何故なら、先の『至t山にいた七星士』の噂の出所でもある――巫女と七星士の記録を纏めた書物が二年前に出版されたからだ。しかも出版元は宮殿である。これはあくまでも読み物の風体をとってはいるが、宮殿が発行している以上、歴史書として読まれるのは当然の成り行きであった。戦争の痛手を乗り越えた庶民の娯楽としては打って付けで、宮殿発行の書物――『朱雀伝』は大ベストセラーとなった。
 宮殿が読み物としてこの書物を発行した理由は幾つかある。一つは、巫女と七星士、そして戦死した先帝・彩賁帝の勇姿、武勇伝を自国の民に知って欲しいという大臣達の思いが強かったこと。また、明るく希望に満ちた話で民を勇気付けたかったことなどがあげられる。
 勿論、書籍化については問題が山積していた。記録を取るといっても『朱雀の巫女』自身は既に異世界へと帰ってしまっていたし、戦争後に生存を確認できた七星士は二人しかいなかったからだ。更に、旅や戦争の記録を書物として出版すると打ち明けた時、生き証人であった二人の七星士の反応は決して良いものではなかったのである。
 しかしこれは当然の反応であるといえた。何故なら、宮殿側は彼らの了承を取らずにせっせと製作に励んだ挙句、生き残った七星士たちに出版の事実を伝えたのは書物が世に出回る前日、という有様だったからだ。
 二人の渋い反応に、彼らを愚弄したい訳ではなかった宮殿側は動揺した。発行停止かとも思われたが、既に何部も刷っているのだから今更止めるのも忍びないと二人は納得してくれた。
 そして発行されたのが『朱雀伝』である。宮殿側の宣伝活動もあって、都を中心に書物は発売初日からよく売れた。しかし重刷しようと検討していた矢先、急遽それは取り止めになる。そして『朱雀伝』の初版、、は、初版印刷の数百部を完売して以後、発売停止となった。
 理由は一つ――生き残った七星士組から、クレームがきたからである。

 ――――あかんわ、もう堪忍してくれや。うちの山てんてこ舞いやで。
 ――――山賊志願者やら見学者やら野次馬やらが至t山に押しかけているらしいですのだ。
 ――――お前はええよな、一箇所に留まってへんから……。
 ――――オイラも『狐のお面の僧侶』なんて書かれているからバレバレなのだ。
 ――――お前なら術使うていくらでも逃げられるやろが。
 ――――まあオイラはそれで平気なのだが。しかし色々……困るですのだ。一応……我々は、生きていて、生活もありますし……。
 ――――公に七星士なんて名乗れるわけないやろ。それだけで他の賊に狙われてまうわ。
 ――――それなのだ。争いの種を作るのは極力避けたいですのだ。申し訳ないが、我々に関する記述はどうかぼかして欲しいですのだ。
 ――――っちゅうかこれ、めっちゃいろいろ間違うてるやん。なんで美朱と星宿様ができとんねん。しかもたま、、は戦で死んどるし。
 ――――それは……鬼宿君は一応そういうことになっているのだ。あの、どうせ変えるならもっと……ああ、新しく作り直しませんのだ? 協力しますのだ。他はともかく、ご遺族のためにも仲間の死に際だけは正しく伝えたいところではあるし……。

 そうして初版から半年後、大幅に修正編集された第二版が発行された。更にそれから半年後に発行された、第二版の旅の内容を面白可笑しく書いた第三版が発売となる。大ベストセラーになったのはこの第三版だ。旅の場面では笑い、仲間の死や戦争の場面では涙する。宮殿随一の文筆家が脚色を加えた第三版は、人々の心を大いに捕らえたのであった。
「翼宿は叫んだ。『おいこら妖怪!! なんかようかい!!』すると横にいた張宿が、軽蔑の眼差しを大道芸人に向け」
「とらんわ!」 
 っちゅうか誰が大道芸人じゃボケ!――と男は近くにあった椅子を蹴りつけた。予想外に痛かったのか、足を押さえて蹲る。
「そうは言うてもな。書いてあるがな」
「やかましいわ、人の前でそんなもん朗読すな! だいたいあの時張宿はな、俺がギャグかます前に冷静に『なんか妖怪なんて太古のギャグ言わないでくださいよ!』ってツッコミ入れたんやで」
「ふうん。無駄なところ細かいなあ、これ。お前、詳しく話してやったんか?」
 男は「おう」と答えて、蹴りつけた椅子にどかっと座った。橙色の髪に手を通し、鬱陶しそうに掻き上げる。
「覚えとることだけな。言うとくけどそれに書いてあるん、半分以上嘘やで。って、前にもいうたやんけ。何今更、一年前に出たもん読んどるんや」
「ああ。第四版が出るって風の噂で聞いたもんやから。復習しとこと思うて」
「はあ?! ほんまかいな」
「さあな。ちゅうかこれ暇潰しに持って来いやねん、この大道芸で喰っとる喧嘩好きの方言丸出しな翼宿っちゅうのがおもろくておもろくて」
「だから誰が大道芸人じゃ!」
「お前や、幻狼」
 相対している男はあははと笑いながら続けた。
「しゃあないやろ、至t山の山賊って書くのは止めてくれってお偉いさんにいうたんやから。ほら、あれやきっと、自由自在に炎が出せるっちゅうんが芸っぽいと思われたんちゃう? 武器も鉄扇やなくて棍棒になっとるし」
「変わりすぎや! なんでそこまでいくんや、扇子でええやんけ……いやよくないけど……」
 男は――幻狼はぐったりと椅子に凭れ掛かった。
 ここは、紅南国は至t山にある山賊の砦である。一時は流行した書物の影響で一世を風靡したが、次第に喧騒も止み、砦に住まう山賊たちはここ数ヶ月ほどは正しく平穏な日々を送っていた。
「炎で鉄扇ときたら至t山の頭やってばれるからやろ。ま、ええやないか。ほんまのこと全部書けへんやったら、何が書いてあっても一緒やって。ほんまのことはお前と井宿はんがしっかり覚えたったらええやろ」
「お前もや、攻児。美朱が来た時覚えとるか?」
「よう覚えとるわ。おもろい子やったなあ」
 相対していた男――攻児は読んでいた書物を片手で閉じると、懐かしげに宙に視線を放った。
 四年前、二人は確かに伝説の『朱雀の巫女』と接触していた。
 攻児はこの砦を護る山賊の一人として。
 幻狼は巫女が探していた朱雀七星士の一人、『翼宿』として。
「あっちの世界で幸せになっとったらええけど」
「なっとるに決まっとる」
 断定的な口調で即答する。
 幻狼は真顔のまま続けた。
「もう邪魔なんかいらんねん、あいつらには。せやから……絶対、幸せに決まっとる」
 心配などする必要はない、解りきったことであるから。
 それは彼女に関わった人間の一人として抱く願望であり、希望でもあるのだけれど。
 側にいた攻児が優しい微笑を浮かべて幻狼の肩に手を置いた。
「大人になったなあ、幻ちゃん……!」
「しばくぞ」
 0.2秒と間を空けず、本気の殺気を含んだ声音を返す。だが付き合いの長い親友には然程効果はなく、攻児はわははと笑うだけだった。
「しっかし、暇やなあ。この辺りもここんところはすっかり平和やし」
「せやなあ……。よっしゃ、少し遠出して悪党退治の旅にでも出るか」
 攻児の動きがぴたりと止まった。
 冗談のつもりで叩いた軽口が親友を真顔にさせてしまったことに、幻狼は純粋に驚いた。
 手にしていた『朱雀伝』をぱらぱら捲りながら、攻児が唸る。
「んー……。お前がそうしたいんやったら、考えんでもないで」
「な――に言うてんねん」
 できるわけないやろ、と幻狼は心内で続けた。
 自分たちは至t山を根城とする山賊である。安易にこの地から離れるわけにはいかない。頭の不在を他の賊に叩かれて撃沈、なんてことはあってはならないことだ。そんなことになったら先代に申し訳が立たない。
「俺が長く至t山ここを離れるわけにはいかんやろ」
「一、二年くらいならお前がおらんでも持ちこたえてみせるわ。せやから、行きたいんやったら行ってもええで。ここは俺が守ったるから」
 何を言っているのだろう、この男は。
 幻狼は眼前にいる親友に対して若干の苛立ちを覚えた。そんな幻狼の心境をまるでお見通しとでも言うように攻児が肩を竦める。
「物足りないんやろ」
「何が」
「今、が。――そりゃそうや、こんな冒険活劇を経験しとってその後も大人しゅういられるわけがない」
 そう言って攻児が投げた『朱雀伝』を、幻狼は受け取った。
 嘘ばかりが並べられた物語。
 だが彼が実際に体験した出来事は、それに勝るとも劣らない大冒険活劇であった。
「その若さで山ん中に閉じ込めておくんは酷やって、他の奴らとも話しとったんじゃ。お前やってまだまだ、いろんな世界をその目で見たいやろ。せやからぶふっ!」
 その先を遮るように幻狼は攻児の顔面を目掛けて『朱雀伝』を投げ返した。見事にヒットした書物を受け止め、鼻を押さえながら親友が「酷いわ幻ちゃん〜」とほざくので「やかましい」と一喝する。
「アホぬかすのもええ加減にせえ! そんなん思うてたらとっくに山降りてるわ。それとも何か? お前、俺がその程度の覚悟で頭の座についとるとでも思うてんのか」
「げ、幻ちゃん……」
「なんやねん」
「大人になったんやね……!」
 バシーン、と攻児の後頭部に鉄扇がヒットする。
 遠く離れたところで頭と副頭のやり取りを見守っていた仲間達は「相変わらず仲ええな〜」と少々的の外れた感想をほのぼのと抱いていた。
「とにかく、俺は山降りる気ィなんぞ毛頭な……っ?!」
 急に悪寒を感じて、幻狼は口を閉じた。辺りの気配を確認する前に、襲ってきた感覚の正体を突き止める。
 ――これは……!
 幻狼が気づくのと同時に天井が明るい光りに包まれた。そこから出てくるもの、、、、、、の気配を敏感に察知し、幻狼は機敏にその場から退避した。
 次の瞬間、光に包まれた天井から一人の人間が落ちてきた。軽快な動きで幻狼が寸前まで立っていた床に華麗に着地を決める――が。
 また次の瞬間、その人物は何を思ったか再びその場から消え、改めて天井から幻狼の上に、、、、、降ってきた。
 どすん、と幻狼が倒れ、その上に人が乗った音が部屋に響くと、現れた男は目前にいた攻児に向かって微笑んだ。
「ああ、攻児君。お久しぶりなのだ」
「コラァ――! おい井宿っ! 何がお久しぶりっ……っちゅうかなんでせっかく避けたのにまた上から降ってくるんやおのれはっ!」
「お約束は守らないといけないのだ」
 悪びれるわけでもなく、そう言って天井から降ってきた男――井宿は幻狼から降りた。
「お久しぶりです、井宿はん。お約束を守りきるなんて解ってますねえ、流石ですわ」
 攻児がにこやかに挨拶する横で「お約束はもうええっちゅうねん」と幻狼は呻いた。
「それで、何したんですか今日は? っていうか――なしてアレ、消えんのです?」
 上目遣いで天井に視線を向ける。いつもなら井宿が現れたらすぐ消える光りが、未だ天井を包み込んでいた。
 幻狼と同じく朱雀七星士の一人であり、かつては共に旅をし共に戦った――つまり大冒険活劇を共に味わった仲間でもある井宿は、困った顔をして頭を掻いた。旅先から来たのか、相変わらず小汚い格好をしている。といっても彼の印象はいつ見ても然程変わらない。袈裟に錫杖に笠と、いつも同じ装備をしている所為か、素顔の上にきつね顔のお面を被っている所為か、何年経っても見た目の印象に変化を与える男ではなかった。
 唐突に現れた仲間は「ううん」と唸り、訪問者らしからぬことを告げた。
「実は、ここに来るつもりはなかったのだ。――というより、ここに来るとは思わなかったのだ」
「はあ? 何いうてんねん、お前」
「いや、それがその――」
 井宿が何か言いかけたその時、光りに包まれていた天井がまるで太陽でも現れたかと思わせるような輝きを放った。
 強い光りを浴びて痛む目を閉じる。光りが弱まるのを待って、そっと目を開けると、いきなり怒声が耳に飛び込んできた。
「この、たわけ者――!」
 尋常ではない怒鳴り声を浴びせられ、幾人かがひっくり返る。
 幻狼は両耳を塞ぎつつ、ぽかんとした顔を向けた。
「太――砂かけババァ?!」
 バシーっ!、とどこからともなく向かってきた衝撃波を喰らい、幻狼は床に沈んだ。
 光源の中から現れた砂かけババァ――もとい太一君は、不快そうにそれを見下ろす。
「何故にきちんと言いかけてわざと間違うんじゃ、このたわけ者」
「お、お約束やないか……」
「えーと。これはどういうことなんです?」
 呻く幻狼の横で攻児が冷静に尋ねる。尋ねられた井宿も事情がよく呑み込めていないようで、困った顔をしたまま小首を傾げた。
「それが……オイラ、急に太一君に呼び出されたから大極山に向かったのだ。そうしたらいきなり『この馬鹿者ー!』と言われて、ここに落とされて……」
「は? なんやお前、砂かけババァのおやつでも盗んで喰ったんか」
「太一君はおやつを食べたりしないのだ」
 幻狼の軽いボケに素ボケが返される。微妙にちぐはぐな会話を聞きながら攻児は宙に浮いた砂かけババァ、もとい太一君を見やった。
 砂かけババァなどと連呼しているが、太一君はまたの名を『天帝』といい、この世界の中心的な存在――いわば神である。太一君はこの世界の中心といわれる大極山に住まい、人々の暮らしを天上界から見守っていると言われていて、この世界に在る四つの大国に四つの神獣の加護を与えた存在でもある。つまり幻狼や井宿が背負い込んでいる『七星士』という宿命を創った存在であり、創始者だけあって太一君は巫女と七星士たちに深く関わっていた。
 しかしいきなり頭ごなしに馬鹿者とかたわけ者とか言われても、当人達には意味が解らない。
 というより――と、太一君とまともに話をしたことさえない攻児は僅かに眉を顰めた。あからさまに罵っている割に大して怒気を感じない。もしや何か裏があるのではと勘のいい副頭が考えていると、太一君が大きな溜息を吐いた。
「まったく、お主らには修行が足りん。情けないことこの上ないわ」
「そ、そうおっしゃられても……展開が急すぎますのだ、一体何をお考えになって」
「やかましいわ! 口答えするでない、わしが何の考えもなしにこんな真似をするとでも思っておったのか!」
 ――……思ってた……。
 場にいる男達の思考が一瞬、シンクロする。正直なところ悪ふざけをしているようにしか見えない。
 一向に目的を明かさないところが尚更怪しいと攻児は思う。それは常日頃から太一君と親しく接している井宿も同じくだったようで、師にも当たる恩義在る方の唐突な言動に彼は困惑と疑問を隠せずにいた。
「太一君。修行不足で情けないことは解りましたが、それで一体どうしろというのですのだ……?」
 その時、太一君の口端が一瞬引き上がったことに気づいた者がどれ程いただろう。
 気づいた者の一人であった攻児は、呆然と太一君を見上げる七星士二人の背中を眺めて同情し、そしてほんの少しばかり彼らを羨ましく思った。
 恐らくこの宙に浮いている天上人は、勝手な論理を展開した挙句に無理難題を彼らに押し付けてトンズラするのだろう。しかしそれは新たな冒険活劇への幕開けである可能性も大いにある。
 頭が山を留守にするならば副頭は彼の代わりに居残るしかなく、そうなるとこの冒険活劇への参加は必然的に不可能となる。
 幻狼も若いが、攻児だって彼と二つしか違わないのだからまだ若い。外に飛び出し、彼と一緒にまだ見ぬ新しい世界を感じたいと思う時も多々ある。
 だが攻児も、先程の言を信用するなら幻狼だって、解っているのだ。
 並大抵の覚悟で至t山ここを指揮しているわけではない。己の全てを捧げる覚悟を、彼らは持っている。
 それだけ、二人にとってこの至t山は掛け替えのない場所だ。
 だから『至t山の山賊』以外の肩書きを持たない攻児に、この山を出ることは許されていない。幻狼が持つ違う肩書きを強く羨望するわけではないが、それでも羨ましくないといえば嘘になる。
 だが諦めのいい彼は、まあええわとすぐに自分がとるべき最善の策を模索し始めた。自分がどうであれ関係ない。ただ、違う肩書きやそれに関する要素が頭の肥やしになればそれでいい。自分はいつでもその手助けをするまでだ。
「ふん。そんなもの、決まっておろう」
 さて、この世界を司る神様は一体どんな難題を七星士たちにぶつけてくるのか。
 若干わくわくしながら、次の句を待つ。
「修行するのじゃ。ただし――条件つきでな」
 唖然としている七星士たちの顔が容易に想像できて、攻児は彼らの後ろで密かに笑った。
    



 





 
081114