四神封印

    




 眩しい光りから解き放たれた――次の瞬間に眼に飛び込んできたのは、あかの色だった。
 一瞥しただけで高級なものと解る、美しく煌びやかな装飾。朱の色に囲まれたその部屋に人気はなく、薄暗い。欄間から漏れる外の光りを浴びて、その華美な部屋は神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「ここは……」
「井宿……ここがどこだかとかそんなんよりも先に――さっさと俺から降りろや!」
 お約束を厳守している井宿は、すまないのだと言いながら下敷きにした翼宿から降りた。ったく、ほんまにこいつはと翼宿がぶつくさ言いながら立ち上がる。
「ちゅうか……ここ、宮殿やろ」
「だ。しかも朱雀廟なのだ」
 奥の間に紅南国の守護神である神獣・朱雀を模った金の彫刻が見えた。四年前、巫女と七星士たちはここで朱雀を召喚したのだ。
「どうやら行き先も太一君に決められているようなのだ」
「はあー……、あのババァほんま単に遊んでるだけとちゃうやろな」
「オイラもそうでないことを願っているのだ」
 苦笑しつつ、手に持っていた笠を首にかける。
 ――ん……?
 刹那、何かが気になって朱雀の像に眼を向けた。僅かながら発光しているように見える。
 同じく違和感に気づいた翼宿が声をあげた。
「あ? ……なんや、あれ。あの朱雀、光っとらんか?」
「ああ、いや……光っているのは朱雀じゃない、」
 言いながら井宿も眼を丸めた。
 朱雀像が設置されている祭壇に、立てかけられている巻物。
 あれは――。
「天地書なのだ。光っているのは」
「てんちしょお? 天地書って、四神天地書かいな」
「翼宿の割りには物覚えがいいのだ。あ、さっき頭でも打ったのだ?」
「じゃあかあしい! 俺かて覚えとるわそのぐらい!」
 軽い漫才会話を交わしながら、祭壇へと近付く。
 立てかけられていた四神天地書――太一君が四正国に四神を配置した際に、各国に渡した神獣召喚の為の巻物――は、微弱ではあるが確かに朱い光りを放っていた。
「ん? なんやこれ、天地書てこんなにキレイやったか?」
「確かに……おかしいのだ。これはまるで新品同様なのだ」
 売り物ではないのだから新品などという言葉を使うのはおかしいかもしれないが――などと頭の片隅で思いながら、井宿は腕を組んだ。
 四神天地書は年代物なだけあって紙質が悪く、ぼろぼろに痛んでいた。だが今、眼前にある四神天地書は、まるでつい最近書かれた巻物であるかの如く綺麗で新しい。
 ならば、中はどうなっているのだろうか。
 井宿は巻物を手に取って広げた。
「……これは……」
「どないした?」
「時は混乱を間近に控えた世、南方は紅南国に一人の少女が降臨した」
「はあ?」
「そういう出だしなのだ。これには……オイラたちのことが書いてあるのだ。美朱ちゃんと旅をした記録、戦った記録が、詳細に……」
 言いながらどんどん巻物を解いていく。いくつか読み飛ばしつつ大雑把に眼を通していくと、書かれてあることは全て事実のようであった。当事者たちしか知り得ない情報まで事細かに載っている。
 ――何故? 誰がこのような……。
 ある程度の真実を知っている宮殿の者さえ、ここまで詳しくは知らない筈だ。まるで見てきたような書きぶりである。
 そして、文字を追っていくうちに井宿は驚くべき記述と出逢った。それは本当に当事者たちだけしか知らないこと、宮殿の者もほとんど認識していないであろう事実――。
『朱雀の巫女と七星士たちが天コウを打ち滅ぼし、真の太平を成す』
 ――天コウとの戦いも……?!
「おい、井宿。そんな一人でめっちゃ早く読む――」
「誰だ、そこにいるのは!」
 怒鳴り声に二人は驚いて振り向いた。
 見ると、大臣らしき格好をした男と槍を構えて武装した男が十数人ほど部屋の外で待ち構えている。
「怪しい奴らめ、ここを何処だと心得る! 朱雀廟であるぞ!」
「名を名乗れ!」
 二人は顔を見合わせたあと、がっくりと項垂れた。
「何で毎回このパターンやねん……」
「まあ、これもある意味お約束なのだ」
 井宿は姿格好がいつもと違うから解らないのも無理はないが、翼宿はほぼ変わらないのだから思い出してくれてもいいだろう。
 宮殿を訪問するといつもこうだから、慣れてはいるが。
「あのー、解らないかもしれませんが、オイラたちは朱雀七星士なのだ」
「翼宿と井宿や。ほれ、」
 証拠に、と翼宿が字の刻まれた腕を曝して見せると、取り囲んでいた男たちは真っ青になって後退した。
「こ、これは、も、も申し訳ありません!」
「お構いなく。こちらもご連絡を入れずにお邪魔をして申し訳ありませんのだ」
「いえいえ、とんでもありません。あの、こちらに何か御用で……?」
「ええと……あるといえばあるし、ないといえばないのだが」
「ババァの計略で俺らも振り回されとんねん。まあ気にするなや」
 そうは言われても、と書いた顔を大臣は滝のような汗と共に曝して見せた。
 同情はするが、こちらもこれ以上説明の仕様がない。
 とりあえず今後の行動を相談する。
「で、どうすんねん、これから」
「どうと言われても……。多分、天地書これが謎を解く鍵だと思うのだ。とりあえず、預からせて貰うのだ。――宜しいですか?」
「は、はあ……いえ、朱雀廟に関するものの許可は、皇太子様にお尋ねしませんと」
「そうですか……ならばご案内頂きたいのだが、皇太子様はご多忙――でしょうね。もし時間が空けば……」
「いいえ、すぐにご案内致します。井宿様と翼宿様がお越しになったと聞いたら、皇太子様もお喜びになって直ぐにお会いしたいとおっしゃるでしょうから。――こちらへどうぞ」
 大臣の案内に従い、二人は朱雀の四神天地書を持って朱雀廟を出た。
 朱で塗られた建物の中を歩いていく。
 翼宿がきょろきょろと辺りを見回した。
「ここも昔と変わらんなあ」
「いや、少し増築したのだ。確か」
 井宿の返答に反応した大臣が「そうです」と首肯した。
「朱雀廟の周りを囲むように回廊を増築したのです。……お恥ずかしい話ですが、何かと賊に狙われることが多いものですから」
「宮殿を? ほんまかいな」
「朱雀廟と宝物庫だけです。幸い、今のところ大事には至っておりませんが」
 度胸あるんやかアホなんやか、と翼宿が呆れた声を放った。
 ここは皇帝陛下が住まう宮殿である、当然のごとく警備はこの国で一番厳しい。そんなところにわざわざ足を踏み入れるなんて、捕まえてくださいと言っているようなものである。
 だが井宿は先程の大臣の言葉で事の全容を掴めてしまった。勿論、想像に過ぎないのだが、大臣が言った賊とは恐らく身内――宮殿関係者なのだろう。表沙汰にして処分できないところを見ると皇族関係者かもしれない。彼が「お恥ずかしい」と言った理由は、どうもそこら辺にあるのではないかと思えてならないのだ。
 現在、紅南国に皇帝陛下はいない。先帝だった彩賁帝が四年前の戦で亡くなって以来、その席は空いたままになっている。彩賁帝が残した皇太子は先日四つになったばかりで、陛下として擁立するのは難しい。勿論、他の皇族を即位させる案もあったが、先帝に付き従っていた臣下たちがそれを阻んだ。
 皇太子が即位する前に他の皇族に宮殿を乗っ取られるわけにはいかない。彩賁帝により上向きに傾いていた国政を、権力闘争しか頭にない皇族たちによって下降させるわけにはいかない――。
 そう考える臣下たちが他の皇族を抑えつけ、皇太子が即位するまで協力してまつりごとを代行しているのである。無論、皇族たちにはすこぶる評判が悪い。様々な妨害もしょっちゅう受けている。朱雀廟や宝物庫に手を出すのも、その内の一つなのだろう。
 ――それでも互いに駆逐し合わないだけマシか。
 それが紅南人の気質なのだろうか。これがもし倶東国だったら要人暗殺が相次いで、宮殿は今頃血に染まっているに違いない。
 それでも万が一のことがあってはならないと、井宿は以前から皇太子の暗殺だけには気をつけろと大臣達に忠告している。皇太子が消えれば宮殿内は泥沼の跡目争いに突入するだろう。被害が宮殿内に留まればまだしも――。
 ――考えたくない。
 そんな争いに首を突っ込むつもりは毛頭ない。関われば利用されることも大いに考えられる。七星士という立場と、能力を。
「こちらです。皇太子様、井宿様と翼宿様がお見えです」
「まことか!」
 甲高い返答が室内から響いた。ぱたぱたと足音を立てて影が近付いてくる。
 満面の笑顔を貼り付けた子供が扉から顔を出した。
「ちちり! たすき!」
「芒辰様――お久しぶりですのだ」
「うわっ! めっちゃでかなったなあ!」
「本当に、一年見ない間に大きくなられましたのだ。きっと先帝もお喜びになっていらっしゃると思いますのだ」
 二人はしゃがみ込んで、四つになったばかりの皇太子・芒辰に挨拶をした。芒辰は愛くるしい顔を見せて七星士たちを歓迎した。
「ちちり、たすき、父上のおはなしをして、」
「芒辰、ちゃんとご挨拶をしなければいけませんよ。その方たちは貴方のお父様の恩人なのですから」
 皇太子の背後から柔らかい声音が聞こえてきた。はい、と答えた芒辰がぺこんと頭を下げる。
「ようこそ、しちせいしたち」
「よくできました。――お久しぶりです、井宿様、翼宿様」
 顔を覗かせたのは先帝の正室であり、皇太子の母である鳳綺だった。その顔立ちは四年前に散った仲間の一人そのもので、先帝が彼女を娶ったと知った時は皆それは驚いた。
「お久しぶりですのだ。鳳綺様もお元気そうで何よりですのだ」
「ええ、私も芒辰も健やかに過ごしております。どうぞこちらへ、お茶を用意いたしましょう」
 華やかな笑顔に案内されて、二人は部屋の奥へと足を向けた。どうやらここは皇太子の勉強部屋のようである。見るとそこら中に書籍が山と積まれていた。
 席につくと、侍女たちがゆるりとした優雅な動作で茶を運んできた。
「今日は如何なされたのですか?」
「実は――上手くお話できないのですが、太一君の指示で……」
「まあ……また何か、危険なことが?」
「いいえ、そういうことではありませんのだ。指示がどうも曖昧なので我々も困っているのですが――先程、朱雀廟でこのようなものを見つけましたのだ」
 井宿は持ってきた四神天地書を卓上に広げて見せた。
「これは……四神天地書」
「ですが、少し違いますのだ。これに書かれているのは朱雀召喚の文言ではなく――我々が『朱雀の巫女』と共に歩んだ道のり、つまり四年前の旅や戦のことが記されているのですのだ。貴方様や芒辰様の記述もあります」
 井宿は指で文字を追いながら皇后と皇太子の記述を探した。見つけた箇所を鳳綺に見せる。
「……本当、ですね……一体何故……」
「紙の質も変わっているし、これは最近になって作られたと考えた方がいいですのだ。何故このようなものが朱雀廟にあったのかは解りませんが、どうもこれは――太一君が我々に与えた試練の一つなのではないかと思いますのだ」
「えっ、ほんまか」
 驚いたのは隣りで茶を啜っていた翼宿だった。
 多分、と頷いて井宿は鳳綺に視線を戻した。
「具体的にどのようなことか、全く検討はつかないのですが……暫しこれを預からせて頂けぬものでしょうか」
「だめだ」
 鋭い声が制止する。
 見やると、芒辰が椅子の上で腕を組んで仁王立ちしていた。
「芒辰様、」
「芒辰、何を――」
「父上のおはなしをしてくれたら、かしてあげる!」
 にこっと芒辰が無邪気な笑みを見せた。
 苦笑した鳳綺が二人に目配せしてすみませんと告げる。井宿は小さく首を横に振った。
「星宿様の話か。せやなあ、あの人ごっつい自分好きな人でな」
「そこから入るのだ……?」
「ここが一番大事やないか」
 真顔で返した翼宿を見やり、鳳綺がくすくすと笑った。
 芒辰は真剣な眼差しを七星士に向けて話に耳を傾けている。
 その日の昔語りは存外な盛り上がりを見せ、一同は長い時間亡き先帝を悼むように談笑を交わした。
 いつの間にか日も落ち、もう晩いということで二人は宮殿に一泊し明朝出発することにした。出発するといっても行き先は不明である。笠がどこに繋がっているかは持ち主である井宿にも解らないことだった。
 翌日、朝食を摂って皇后と皇太子に別れを告げたあと、二人は朱雀廟の前に赴いた。
「相変わらず美味かったなあ、ここの飯」
「なのだ。そろそろ行くのだ」
「おう。次はどこに繋がっとるん……あっ!」
「だ? 翼宿、心当たりがあるのだ?」
「お前、もう俺の上から落ちてくるんやないで! あれけっこう地味にマジで痛いねんからな!」
「さて行くのだ」
「シカトすんなやっ!」
 喚く翼宿を無視して錫杖を鳴らし、笠を放つ。溢れ出た光りが二人を包み込むと、いつものようにあっという間に次の場所へと移動した。
 光りが消えたことを確認し、瞼を開く。
「ここは……」
「せやからとっとと降りんかい……っ!」
 やはりお約束を死守した井宿は「すまないのだ」と言いつつ翼宿の上から降りた。あと何回これ繰り返すつもりや、何回もやってたら癖になるってんなわけないやろ、とぶつぶつ下敷きになっている山賊が呻く。
「ちゅうかなんやここ? 随分と田舎臭いとこやなあ」
「……ここは、魏――鬼宿君の実家があった辺りなのだ」
「はあ?! ほんまか! 聞いてはおったけど、あいつこんな貧乏臭いとこに住んどったんかー!」
 何気なく暴言を連発する翼宿の声を聞き流しつつ、井宿も驚いて周囲を確認した。
 まさか鬼宿の出身地に繋がっているとは思わなかった。ここにも何か意味があるというのだろうか?
 太一君の考えていることが、ますます解らなくなっていく。
「翼宿。向こうに鬼宿君の家族のお墓があるのだ」
「え? ああ……確か角宿にやられたんやったな……って、何でお前墓の在り処なんか知っとんねん」
「オイラ、命日にはお参りしているのだ」
「何や、俺も誘えや水臭い」
「……お参りはお祭りじゃないのだ」
 とりあえずせっかく来たのだからお参りしてこようと、二人は鬼宿の家族の墓へと向かった。そう時間のかかる距離ではない。
「確か、この辺り……?」
 井宿は言葉の途中で口を閉ざした。
 先を見やると幾つかの墓石が見えた――が、その前に、墓に向かって手を合わせている男が見えた。
 背後の気配に気づいた男が立ち上がり、振り向いた時――井宿と翼宿は唖然とした顔を向けた。
 ――あ……っ!
「亢宿……?!」
「――は、確か記憶が、」
「……井宿さん、翼宿さん」
「ええっ?!」
 二人は思わず大声を上げて驚いた。
 随分大人びた顔つきになったが、彼は二人が知る人物――青龍七星士の生き残りである亢宿だ。だが彼は戦闘の最中、双子の弟である角宿に忘却草を与えられて全ての記憶を無くした筈だった。今は西廊国に住み、拾ってくれた老夫婦と共に別の名で暮らしている筈だが――。
 男は深く頭を下げて「お久しぶりです」と言った。沈痛な面持ちが覗いて見える。
 導かれた結論は一つしかなかった。
「亢宿、君は記憶が……戻ったのだ?」
 顔を上げた男は――亢宿は小さく笑って、はいと頷いた。
   
 











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