四神封印
4
隣街に着いた頃には、既に日は真上に昇っていた。
腰を据えて話ができる場所を求めて、一同は飲食店を探していた。すぐに看板を見つけて入店する。
席に着き、酒を飲みたがった翼宿を制して井宿が茶を注文した。飲み物が到着し、一息吐いた頃――二人と向かい合って座っていた亢宿が急に頭を下げた。
「すみません」
「亢宿――君?」
井宿が困惑して尋ねる。
だが亢宿は悲痛な面持ちで、頭を下げたまま続けた。
「いずれ……お二人にもお会いしなければならないと思っていました。あの頃……四年前――七星士として以前に、人間として……してはならなかったことをしたのだと、今は思います。本当に申し訳ありませんでした。弟の分も――」
「あー、やめややめや。今更そんなん気にしてへんわ」
元敵の――朱雀側から見れば『裏切り者』の――言葉を遮り、翼宿がひらひらと手を振る。
ですが、と食いつく亢宿に井宿が優しく声をかけた。
「亢宿君。翼宿は照れているだけなのだ」
横から「なんやとっ」と上がった抗議を軽やかに無視して、井宿は青龍七星士の唯一の生き残りである青年に微笑みかけた。
「君の謝罪は受け入れたのだ。だからそんなに頭を下げないで欲しいのだ。……心優しい君がどれだけ苦しんだか、オイラも翼宿も理解しているのだ」
一時は同じ朱雀七星士として共に過ごした。当時の彼の言動が全て嘘だったとは到底思えない。青龍側の間者であると知れて一度は袂を分かったが、その後に亢宿と再会を果たした『朱雀の巫女』も彼には優しくしてもらったと言っていた。
その時に亢宿が青龍七星士たちから『朱雀の巫女』を守ってくれたからこそ、最悪の事態は免れたといっても過言ではないのだ。汚名は充分に濯がれている、頭を下げる必要など何もない。
「それに、あの戦いでは……君も多くのものを失くしたのだろう」
敵同士であったとはいえ、結果的に彼から最愛の弟を奪ったのは自分たちだ。
亢宿はゆっくりと頭を上げると、小さく首を横に振った。
「弟は……自分で決めた道を、覚悟を抱いて歩んだだけですから。……あの、鬼宿さんは今どこにいらっしゃるのですか? 弟のしたことを……謝罪したいんです」
「残念だが、それは無理だと思うのだ。彼は異世界の――美朱ちゃんの世界の人間になったのだ。二人は今、一緒になって幸せに暮らしている筈なのだ」
「そ――そうなんですか。それは、……良かった」
驚いた後に、亢宿はほっと胸を撫で下ろした。彼もあの二人の関係を知る人間の一人である。想い人同士がちゃんと結ばれたのが、純粋に嬉しかった。
「ところで君は、どうして記憶が戻ったのだ?」
頭に引っかかっていた疑問を口にする。
亢宿は忘却草を飲んで全ての記憶を無くした筈だった。忘却草は効能の強い薬草だ、何か切欠があるにしろそう簡単に記憶が戻るとはとても思えない。
視線を落とし、暖かい茶を一口啜ると、亢宿は己の身に起きたことを語り始めた。
「それが……つい最近のことなんです。切欠は、よく解りません。急に青い光りが見えて体が包まれたかと思うと、記憶が蘇ってきました。――でも、それだけじゃないんです」
「……というと?」
「僕が知るはずのない、仲間の――『青龍の巫女』と七星士たちの記憶まで、僕の中に入ってきたんです」
――何……?
井宿と翼宿は視線を交じらせて、顔を顰めた。
神妙な顔つきで亢宿は話を続ける。
「まるで四年前の戦いを再現しているようでした。弟のやったことも、みんなの死に様も全て――僕の中に入ってきた。……それから、いてもたってもいられなくなって……。記憶がない間も字は出ました。どんなに記憶をなくしても僕は青龍七星士なんだということを、記憶が戻ってから感じました」
考えたくなかった。それでも考えざるを得なくなって、亢宿は自分が過去から逃げていたことを認めた。
記憶がない時はそれでも良かったのかもしれない。だが記憶は戻ってしまった、それどころか仲間が見たものも、全ての結末も――彼は知ってしまった。
「僕だけ逃げているわけにはいかない。それが、弟の思いやりによる行動で――心宿さんの情けだったとしても」
「え?」
「殺そうと思えば殺せましたし、僕を生かしておく理由はなかった筈ですから。弟を上手く利用するために、僕を人質として捕らえておくこともできた筈ですし……」
例え記憶がなかったとしても身体を拘束して眼の届くところに置いておけば、もっと角宿を上手く操れた筈だ。熱くなっている子供は行動選択の予測がつきやすい。だが心宿は西廊国を去った後、亢宿が生存しているとの報告を受けても何の刺客も放たなかった。
そこまでする必要もないと思ったのか、それとも――。
亢宿はハッとして顔を上げた。
「すみません。記憶が戻ってから、そんなことばかり考えていて……。あの時どうすれば良かったのか、他の仲間は何を考えていたのか……。今更、ですけど」
「ええやん、別に」
俯く亢宿に声をかけたのは翼宿だった。
「遅いことなんか何もあらへん。それに――人間、誰でも間違いは起こすわ。ガキやったら尚更や。一度間違うたら、後悔して反省して考えて、二度と同じ間違いせんように心がけとったらええねん。それで充分や」
一息で言い放ったあと、照れ隠しに茶をぐいっと仰ぐ。
七つ年下の仲間を、信じられないといった目つきで眺めていた井宿がぽつりと呟いた。
「翼宿……大人になったのだね」
「しみじみいうなっ! っちゅうか聞き飽きた、それ」
「まあでも、翼宿の言う通りなのだ。背負い込みすぎて潰れたら元も子もないのだ。考えるのもいいけれど、君は君自身の幸福を目指して生きなければね」
眉を寄せて少しだけ泣きそうな顔をしたあと、亢宿は頷いて笑った。少年の頃のあどけなさを思い起こさせる笑顔だった。
「ちゅうか……なんやおかしゅうないか? 急に記憶が戻るなんて……。なあ、まさかババァが関わっとるとか」
「翼宿の割りには勘がいいのだ」
「せやからその『割りには』っちゅうのはやめろや!」
またも横から入った突っ込みを無視して、井宿は亢宿を見やった。
「亢宿君。実はオイラ達は、太一君に命じられて修行の旅をしている最中なのだ」
「修行……ですか?」
「名目上はそうなっているのだ。でも、太一君にはきっと何か他に考えが……オイラ達に何かさせたいことがあるのだと思うのだ。その証拠に旅の行き先も全て太一君に決められているのだ。ただ、肝心の目的が解らないのだ。何をすべきか、オイラ達は読めずにいるのだ、でも……」
井宿は何かに気づいたように目線を下げた。口元に手を当て、暫し考え込む。
説明者が黙り込んだので急に場が静まり返ってしまった。
おいどないした、と翼宿が声をかけようと口を開いた時、正面にいた亢宿が顔を寄せて小声で尋ねてきた。
「あの……井宿さんはどうなさったんですか?」
「あ? 知らんわ、何や急に黙り込んで」
「あ、いえ、そうではなくて……その、格好が昔と随分違うから、驚いて」
ああ、と頷いて翼宿は隣りに座る男の横顔を眺めた。
露になっている白い素顔、漆黒の眼帯、考え事をしている表情。
いつもお面の下ではこんな顔をしていたのかと、翼宿は今更そんな感想を抱いた。
「あれは……なんちゅうか、なんやろ。ババァの嫌がらせっちゅうか……」
「、はあ……」
「なんや、とにかくあいつが好きでああいう格好しとるわけやないねん」
太一君によってお面を奪われ、昔の格好をさせられた井宿を見やった時――彼は青褪めていた。
過去を思い出すから嫌なのだろうか。否、だったらもっと取り乱してもいい筈だ。時間が経って慣れた所為もあるのかもしれないが、今の井宿はとても落ち着いている。
――わからん。
そう結論づけて、翼宿は一先ず問題を横に置いた。わからないものはわからないままでいい。無理に自分勝手な解釈をしてわかったような気になるよりマシだ。答えが知りたくなったら本人に訊けばいいのだから。
「おい井宿、どないしたんや一体」
少し大きめの声を出して呼びかけると、井宿は静かに顔を上げた。
紅い瞳と眼が合う。
せやった、と翼宿は思い出した。
普段はお面で隠れているから解らないが、この男は意外と鋭い眼をしているのだ。
「笠が……あそこに、鬼宿君の実家辺りに繋がったのは、つまり――亢宿君と会うためだったのかもしれない」
「は?」
「あそこに繋がったからには、宮殿の時のように何か意味がある筈なのだ。それが今回の場合は亢宿君と再会することだった。――君の記憶が戻ったのも、今回のことに関係があると思うのだ。太一君の目的はまだ解らないが……」
「あー? っちゅうことはあれか、ここにきた収穫が亢宿っちゅうことは……こいつも連れて次の場所に行けっちゅうことか? ったく、何考えてんねんあのクソババァ」
「でもこれで一つ、はっきりしたことがあるのだ」
断定的な口調で話す井宿になんやねんと眼を向ける。
事態が好転したというわけではないが、と前置きして隻眼の七星士は言った。
「これは……やはり四神にまつわることなのだ。つまり、朱雀だけの話ではない。オイラ達の修行というのは勿論ただの名目で……太一君は四神に関することで、我々を使って何かさせようとしているのではないだろうか。そうでなければ亢宿君を巻き込む理由がないのだ」
「あの……四神は、全部召喚されたんですよね? もう現われもしないのに……一体何が問題なんでしょう」
「亢宿の言う通りや、召喚したくたってもうできへんのやろ。いないのと同じやんけ」
「ああ、まだ解らないことは沢山あるのだ。四神に関することで今、影響を及ぼすものがあるとしたら……それは……」
語尾が段々と消えていく。井宿は苦い顔をして口を噤んだ。
急かすように「なんや」と尋ねる。
答えはすぐに返された。
「それは、七星士なのだ」
「……は? どういうこっちゃ」
「だから――今、四神関係でこの世界に影響を与えるものといったら、能力を持った我々しかいないのだ。太一君は――……いや、」
なんでもない、と結んで井宿は再び沈黙した。
「おーい、わからへんて」
「……オイラも解らないのだ。太一君は『進めば解る』とおっしゃったのだ。……だから、やはり進むしかないのだろうね」
井宿の答えを受けて、翼宿は盛大に溜息を吐いた。
大体、こういう風に誰かの意思に操られて行動するような真似は積極的に嫌いなのだ。目的が解らない上に好き勝手に動けないのでは鬱憤が溜まる一方である。
だがこんなところで愚図っていても仕方ない――ということも、翼宿は充分に理解していた。
「あーもう解ったわ。進むしかないんやったら進むまでや、ええな亢宿」
「あ、はい。お役に立てるのなら、喜んで」
「よっしゃ。井宿、とっとと次の場所に移動しようや。ぐずぐずしとってもしゃあないやろ」
「ああ、……随分はりきっているのだね、翼宿」
微妙に的の外れた感想を漏らされて、思わず翼宿はずっこけそうになった。
「はりきってんのとちゃうわ! さっさと終わらせたいねん、俺は」
「そういえば亢宿君」
せやから人に話ふっといて華麗にシカトすんなーっ!、などと至近距離で喚いても井宿は動じない。わざとやっとるんやないかこいつ、と思いながら翼宿はがっくりと項垂れた。
「君は、今も七星士の能力は使えるのだ?」
「ええ、昔できたことは一通りできると思います。長い間使っていなかったので鈍っているとは思いますが……」
「いや、使えるならいいのだ。実はオイラ達は太一君に能力を制限されているのだ。今のところ特に困ったことはないが……」
「笠で移動しとるから危険なところも通らんしなあ。なんで能力を封じたんやろ、あのババァ」
能力が制限されているからこそ危険地帯に放り出されるのではないかと翼宿は思っていたのだが、今のところ道中はいたって平和である。能力が使えなくても何の問題もない。
話題と飲み物が尽きたところで、三人は移動する為に店を出た。
人通りの少ないところまで歩き、笠を取り出す。
今は考えても仕方ない、というのは一致した意見だった。とりあえず次の展開に挑むしかない。
「では、いくのだ」
井宿の合図と共に笠から光りが溢れ出した。もはや慣れてしまった、暖かい空気の膜に包み込まれるような感覚が全身を襲う。
次の刹那――気がついたら翼宿はうつ伏せになって地面に倒れていた。
「……井宿」
「ここは……!」
「やかましいわ何度目じゃおんどりゃあ!!」
「四度目なのだ」
案の定、翼宿の背中に乗っかっていた井宿が冷静に答えた。お約束の死守は相変わらず続いている。
「亢宿君、ここは……」
「ええ――ここは、西廊国ですね」
「なっ、なんやて?! っちゅうかさっさと降りろや井宿!」
了解した井宿がようやく翼宿の上から降りた。回数を増すごとに乗っかっている時間が長くなっていっているのは気のせいだろうか。
改めて辺りを見渡すと、紅南国とは異なる装飾を身につけた人々が往来を歩いていた。空気も渇いていて、乾燥している。
そしてどことなく、見覚えのある街並みだった。
井宿が亢宿の方を振り返る。
「君は今もこの国に住んでいるのだ?」
「ええ、四年前に拾ってくれた人たちの家に世話になっています。この辺りは――奎宿さんの家の近くですね」
「おお! どうりで見覚えがあると思うたら、あの爺さんの家の辺りか」
奎宿は白虎七星士の生き残りであり、鬼宿の師匠でもある。四年前の戦いでは随分と世話になった。
「奎宿さんと知り合いなのだ?」
「はい。記憶が戻った時、色々と混乱して……白虎七星士の生き残りの方がいらっしゃると聞いたものですから、相談にのってもらったんです。その際に朱雀の皆さんの話もお聞きしました」
「ああ、奎宿さんや昴宿さん――それに婁宿さんにも、大変世話になったのだ」
「ちゅうか今いくつやねん、あの爺さん。そろそろくたばってもええんとちゃうか」
「何だとコラ」
声と共に頭に何らかの衝撃を受けて、翼宿は再び地面に沈んだ。なんやと振り返ると、懐かしい顔がこちらに片足の靴の裏を向けて仁王立ちしていた。
浅黒い肌に白髪、真っ直ぐに伸びた背筋に、好々爺然とした風貌――。
「奎宿さん!」
名を呼ばれた老人は口元に笑みを刻み、「よう」と低く響く声を発した。
「久しぶりだな、ご両人。元気にしていたか」
「爺さん、まだ生きとったんか!」
「勝手に殺すな馬鹿たれ。懐可、紅南に行ってきたのか」
懐可――亢宿の、西廊国での名――と呼ばれた亢宿は、頷いて答えた。
「はい。お墓に手を合わせてきました」
「そうか、ご苦労だったな。――まあ、家に寄っていけよ。来ると思っていたんだ」
「え?」
「天地書のことだろ」
あっさりと言い放った奎宿を、三人は茫然と眺めた。
081213