四神封印
5
乾燥した空気と大地、高い気温と蒼色の濃いからりと晴れた空――それが西廊国の特徴である。
装具も建物の様式も紅南国では見かけることの出来ないものばかりで、街並みを見渡すだけでも双方の文化の違いをありありと知ることができた。
「ああ、いらっしゃい。よくきたね」
奎宿の先導によって彼の家に着いた一同は、早々に家人からの歓迎を受けた。奎宿と同じく元白虎七星士であり、彼の妻でもある昴宿が愛想よく笑う。
「元気そうじゃないか」
「昴宿さんも奎宿さんも、お元気そうでなによりですのだ」
「うちのは年がら年中元気すぎて困ってるよ」
横目で夫人がじろりと夫を睨みつける。奎宿が小さく竦みあがったのが見えて、井宿は思わず苦笑を零した。
「相変わらず仲がよろしいのだ」
「まあね。さあ、座りなよ。お茶を持ってくるから」
促されて、一同は客間に入り席に着いた。
台所へと足を向ける昴宿の後姿を眺めながら、翼宿が呻く。
「しっかし、ほんまぴんぴんしとるなあ。あんたらいくつになんねん?」
「数えてねえ」
席に着いた奎宿から端的な返答が返された。磨いた煙管を咥え、一息吐いてから一同を見やる。
「早いとこ本題に入りたいところだろうが、ちょっと待ってくれ。話は客が来てからする」
「その前に、奎宿さん。どうしてオイラ達がここにくると解ったのです?」
来ると思っていたと奎宿は言った。何らかの事情を知っている証拠である。
井宿の疑問に、元白虎七星士はあっさりと答えた。
「ああ。太一君から連絡があったんだ」
「砂かけババァから?!」
翼宿が聞き返すと、奎宿は動じもせずに頷き「砂かけババァから」と真顔で復唱した。
「奎宿さん、連絡とは……」
「具体的なことは何も。ただ――……選べ、と」
――選べ?
意味の汲み取れない返答に井宿は眉を顰めた。
『選べ』とは、どういう意味だ? 一体何を――。
かたん、という音に思考を遮られる。昴宿が運んできたお茶を卓上に置いた。彼女は全員にお茶を出すと、奎宿の隣りの席に座った。
妻の着席を確認したあと、奎宿が再び口を開いた。
「お前達はなんて言われたんだ?」
井宿はこれまでの経過を奎宿と昴宿に打ち明けた。
太一君の誘導で朱雀の四神天地書を手に入れたこと、亢宿と出逢ったこと、そして西廊国にきたこと。
話を聞き終えて、奎宿は亢宿を見やった。
「懐可は、太一君とは接触していなかったな?」
「はい、お会いしてはいませんが……」
「そうか。すると……お前の場合は、戻った記憶そのものが太一君からの伝言だったのかもな」
「それは……どういう意味ですのだ?」
呟いた奎宿に向かって井宿は尋ねた。
「だから……『選べ』ということだ。これからのことを」
――選べ。
「……太一君は、生き残っている七星士たちにそれぞれ違う働きかけをした。白虎と青龍と朱雀……。それぞれどういった違いがあるのでしょうか」
朱雀には行動を、青龍には記憶を、白虎には言葉を太一君は託した。
それぞれの違いに何か意味はあるのだろうか。
そして彼の方は何を考えている。何を狙っている?
――我々は……。
我々は、彼の方の思い通りに動いているのか?
「さあな。俺の考えじゃ、お前らは考えて悩む役。白虎は選んだ結論を提示して、まとめる役だ」
「……さっぱり解らん」
翼宿が一言で一同の気持ちを代弁した。
さっぱり解らない。奎宿たちは一体何を掴んでいるというのだ。
井宿は黙って卓上を見つめた。
――違う。
そう思う。何故か、無性に『違う』と。
この強烈な違和感の正体はなんだ……?
不意に戸が叩かれる音が響いた。
昴宿が立ち上がって玄関に出る。すぐに客人を引き連れて戻ってきた。
「よう、きたな」
まあ座れよ、と奎宿が席を勧める。
客人の男は井宿の向かい側に座り、彼を見て口端を引き揚げた。
「久しぶりだな」
低く、身体に浸透する声音。
井宿は茫然と男を見返した。
思わず声が詰まる。
その顔、その声、その体躯。全てに見覚えがあった。
過去の記憶が走馬灯のように蘇る。
今から十年前――路上に転がっていた自分を、塵以下だった自分を拾った男。
「っ……あ、」
――影……喘……!?
間違いない、年を重ねて少々老けたが確かにあの男だ。紅南国で人売りをしていた刑影喘だ――!
「なんだ、知り合いか?」
「昔、ちょっとな」
客人の声は微笑を含んでいた。
固まっている井宿をちらりと見やり、奎宿が「ほう」と何か言いたげに唸る。
「こいつは劉喘っていうんだ。足に使えるんで同席させた。身元は俺が保証する。で――早速だが、お前、昔の道どれだけ生きてる」
奎宿は客人に向かって乱暴に尋ねた。
影喘――否、劉喘があからさまに顔を歪める。
「……何だって?」
「いいから教えろよ」
淡々としていながら鋭い口調で要求する。老者ではあるが声音も眼差しも衰えてはいない。
客人は短い沈黙を寄越した後、目線を逸らした。
「……東に二本、南に三本。北に二本、西に一本」
「ふん。上出来だ」
「おい、ちょっと待てよ。俺ぁ今は公職だぜ」
「叩けば埃の出る体だろうが。悪いようにはしねえから協力しろ、前職ばらしてもいいんだぜ」
「ちっ。……たいした爺だぜ」
舌を打ちつけて顔を背けた劉喘を眺めながら、井宿は困惑から抜け出せずにいた。
何故、紅南国にいたはずの彼がここに――西廊国にいるのだろう。否、十年前の話だ、今どこにいても不思議ではない。
しかしだからといって、まさかこんな再会の仕方をするなんて――。
「よし、本題に入ろう。お前ら、天地書の中身は読んだか?」
「は、はい……昔の、巫女との旅のことが書いてありました」
なんとか気を持ち直して質問に答える。隣りに座っている仲間の視線が身に突き刺さるのを感じた。
「だろうな。この白虎の四神天地書にも、俺たちの戦いの歴史が載っている」
奎宿が懐から白虎の四神天地書を出し、卓上に置いた。
朱雀のものと同様に、巻物に傷みはみられない。
「これは半年ほど前に太一君から授かった、新しい四神天地書だ。あの方はこれを俺たちに託して『選べ』と言った。――俺たちはそれを、俺たち自身の行く末のことだと受け取った」
「行く末?」
「末路――だ」
奎宿はそう言い放ったあと、昴宿が運んできた茶を啜った。
窓の隙間から差し込む光りが僅かながら一同の顔を照らし出す。静謐が緊張を呼び、緊張が若干の不安を呼び覚ました。
「多分、青龍と玄武の四神天地書にもそれぞれの戦記が書いてある筈だ。天地書には神通力が宿っている。それは太一君の力でもあり、四神――神獣の力でもある。……だから俺たちは選んだ」
「どういう――ことです」
口が自然に問いを紡いだ。
奎宿は明瞭な発音で答えた。
「天地書を一箇所に集めて、四神を封印しようと思う」
一瞬にして弾けた緊張が、更なる緊張と静謐を招いた。
言葉の意味を理解しきる前に深い戸惑いを表情に表す。
封印? 四神を、封印――。
「ちょ――ちょお、待てや。それって、」
「恐らく能力は使えなくなる。字も現れん」
「待てって! そんなん、いきなり言われても」
喚く翼宿を片手で制して、奎宿は話を続けた。
「いいか、よく聞け。俺ぁ酔狂でこんなこと言ってるんじゃねえんだ。お前らはまだ若いから解らんかもしれんが……能力があるせいで余計な争いを招く恐れもある。良からぬ連中も国の役人も、多くの人間が俺たち七星士の力を利用しようと近付いてきた。能力がなきゃそんなことにはならん。でかい能力っていうのは、あるだけ立派な不幸の種なのさ」
「そんな、」
「いいから聞けって。解ってるさ、この能力のおかげで俺たちは巫女を護れた。だがもう護るべき巫女もいない。もう四神は現れないんだ。それに、能力がなきゃ俺たちは七星士といえないのか? 違うだろう。能力がなくても、字が現れなくても俺たちは七星士だ」
だから――。
「能力がないと困るような生活は送っちゃならねえんだよ」
翼宿が顔を顰めて口篭る。
それを横目で眺めながら、井宿も開きかけた口を閉じた。
奎宿の言い分は解る。もっともだとも思う――確かに、能力に頼りきってはいけない。今はもう倒すべき敵もいなければ護るべき巫女もいない、だからこの武力にもなる危険な能力は手放すべきだ。
能力がなくても字がなくても、七星士という証は心に刻み込まれている。仲間たちと過ごした記憶が全ての証明になる。
だから、だから――。
――違う……!
駄目だ、封印をしても無駄だ。
井宿は膝の上で拳を握った。
強烈な違和感が再び全身を襲う。だがどうしても、その違和感を口に出せずにいた。
感じる違和感自体が自分を護るためだけの現実逃避なのではないか――という気持ちがあったからだ。
奎宿の選択を是認するなら、太一君が行った井宿への仕打ちの理由も納得がいく。お面を剥がされ、過去の服装を身に着けられ、能力を制限されて、外に――人の前に放り出された。
それは条件というより、先を見据えて提示した『腹を括れ』という太一君からの伝言ではないのか?
能力を手放して生きる。井宿としてではなく、李芳准としての己に戻る、認める覚悟を決めろ、と――。
「俺と昴宿の腹はもう決まっている。あとはお前らだ。……時間はやるから、よく考えてみてくれ」
奎宿の一言で、場は一旦散開となった。
緊張感の抜けた室内はそれでも、静謐を保ち続けることを余儀なくされた。
090111