四神封印

    




 世界が在る意味を、世界に住まう人々は知らない。
 真相には事実である、、、、、という意味合いしかなく、それは人々の真実には成り得ない。
 数多の思惑に、数多の思考――そして数多の観点。
 すべての個を一緒くたにはできない。
 だからこそ時には事実さえ無価値なのだ。
 井宿はじっとくうに浮かぶ師を見上げた。観点の多様さ、などということを頭の片隅で考えているのは、一種の現実逃避なのかもしれない。
 四神――四つの神獣の復活と、新たな二十八宿の草創。
 太一君が口に出した内容は井宿の予想そのものだった。
 ――やはり……。
 やはり、貴方は。
「意味がわからん!」
 呆気にとられていた一同の中で、一番最初に反応を示したのは翼宿だった。
「どういうことやねん、一体――何がどうでなんなのか説明しろや!」
「やかましいのう。ちゃんと説明してやるから大人しくしとれ。お主が理解しきれるかどうかまでは責任持たんが」
 なんやと、と返す翼宿を無視して、太一君は事の次第を語り始めた。
「何故、と尋ねられても答えようがない。ただ、『事実』として……この世界は、四神と二十八宿がいなければ成り立たんのじゃ。この世界は、四神が在ることを前提をして創られた世界。……四神がいなくなれば、この世界が存続し続ける意味もない」
「……どういう意味ですか?」
 眉を顰めた亢宿が尋ねた。
 太一君は顔色一つ変えずに答えた。
「そのままじゃ。四神が消えれば世界は滅ぶ」
「っ……?!」
 誰もが『何故』と書いた顔を太一君に向ける。
 その中で一人だけ冷静を保っていた井宿が小さく口を開いた。
「太一君。もしかすると、天コウは……」
「ああ、そうじゃな。あ奴がこの世界を襲撃できたのは四神が召喚されたあとだったからじゃ。四神を召喚するごとにこの世界の護りは薄くなる」
「おい。この世界は、あんたが牛耳っているんじゃなかったのか」
 奎宿が険悪な声音を発する。
 太一君は静かに首を横に振った。
「わしはこの世界を統べる者。……世界の創世者ではない」
 聞いてはいけないことを聞いている。尋ねてはならない、事実を。
 舌を打った奎宿が大きく顔を背けた。
「聞きたくねえよ、そんなことは」
「わかっておる。よいか、他の者もよく聞け。今わしが話しておるのはわしの事情、、、、、じゃ。事実であれ何であれ、お主らにはどうでもよいこと、、、、、、、、なのじゃ。己の問題にして深く考えてはならん。この世界がなんであれ、世界は在る。人が居る。お主らが生きておる。それは変わらぬ」
 そう、世界の創世など、それに関する『事実』など、そこに住まう人々には何の意味も持たないのだ。知ったところで世界が変わるわけでもなく、今在るという事実が覆るわけでもないのだから。
「とにかく――この世界が存続し続ける為には四神が必要不可欠なのじゃ。だからわしは四神の復活を」
「待てって。目的は分かったわ、けどなんで俺らにこんな真似させたんや」
 翼宿がもっともな質問をした。
 四神の復活も二十八宿の創出も、些か乱暴だがこの世界を統べる太一君の一存で行えばそれで済む話だ。
 七星士に接触して事態を掻き回すことに、一体なんの意味があったのか。
「お主らにそれぞれ接触した理由は……お主らが七星士とうじしゃだからじゃ。四神を復活させるには新たに四神天地書を創る必要があった。それを見てお主らがどう思い、何を選ぶか。それが見てみたかった。――亢宿」
「、はい」
 唐突に名前を呼ばれて、亢宿は緊張した面持ちで返答した。
「お主に記憶を戻したのも同じ理由じゃ。すべてを知った上でのお主の判断が知りたかった。奎宿、昴宿――お主らも同じこと。四神を復活させる上で、お主たち七星士が抱える問題をあらかた整理しておきたいと思ったのじゃ。欲を言えば、それらを解決してからにしたいと」
「……なるほど。今ある問題を次の世代に持ち越したくねえってことか」
「その通りじゃ。この先に何があるか、わしも分からん。そして何かあったところで、手助けはできんからな」
 奎宿の呟きに返答する太一君の声を聞きながら、井宿は眉を寄せた。
 手助けはできない? 貴方が? 
 絶えず優しさと慈しみの手を差し伸べて、人々を導いてくださる貴方が――。
 ――まさか……!
「太一君、貴方は」
「井宿」
 井宿の声は師によってやんわりと遮られた。
「それに翼宿。お主らも同じじゃ。能力の制限をしたのも、他の七星士とはち合うようにしたのも――四神の存在を、七星士としての己のことを今一度改めて考えて欲しかった。わしはもうお主らを止めることはできぬから、、、、、、、、、、、
「太一君!」
「井宿。お前はわかっていただろう」
 体の奥から寂寥感が込み上げてくる。師から発せられる言葉の音は一つ一つが暖かく、慈愛に満ち溢れていた。
 大極山に足を踏み入れ、彼の方の下で修行に励んでいた時からずっと、師には甘え続けていた。井宿にとって太一君は精神的な柱であり、支えでもあったのだ。
 だから問わずにはいられなかった。彼の方の一番近くにいる人間として。
「……いなくなってしまうのですか」
 発した声は僅かに震えていた。
 一同がしんと静まり返る。
「――な……なんやって?」
 一拍置いて、翼宿が尋ねた。
「どういうことや」
 太一君は微動だにせず、静かに眼を伏せた。
 刹那――眩い光りが一同の視界を覆い尽くした。光りの温もりに抱かれながら、その居心地の良さを噛み締める。
 再び視界が開けると、そこには、この世界を統べる者の真の姿が浮かんでいた。
 絢爛豪華な衣、研ぎ澄まされた眼、穏やかな口元、そして他を圧倒する存在感がそこにあった。
 その正体は天を支配する帝。
 まさしく、天帝。
「いなくなるわけではない。ただ、少し眠りにつくだけだ」
 天帝は抑えた声音を放った。それは、人々の不安や疑心というものを全て包み込んで消化してしまうような力を孕んでいた。
「四神の創造はそう容易いことではない。なるべく早く創出するためには集中して気を送らねばならない。その間、他のことには構えぬ」
「それじゃあ……この世は、太一君のいない世界になっちまうってことかい?」
 昴宿が問うと、天帝はたおやかな笑みを零した。
「大極山で眠りにつく。天界のことは仙女もおるゆえ、どうにかなるが……地上のことはどうにもならぬ。なるべく急って事を終わらせるつもりだが、いつ頃になるか明確に断言はできぬ。その間のことは……」
「俺たちが、なんとかしろって? っいてッ」
 横柄な態度で尋ねる奎宿の横腹を、隣りにいた妻が小突いた。
「命じることはできぬ。そもそもそなたらは、己の意志に関係なく宿命の星を宿され、運命という名の濁流にその身を投じることを強要された身。そのそなたらに、再び何かを強いることは……避けたい」
 だから、と続けて天帝は一同を見つめた。
「頼む。天上人の代わりに、世界を見守ってはくれぬか」
 それはとても真摯で、誠実な声音だった。
 天帝が人間に頼みごとをする――そんな在り得ない事態に遭遇し、一同は言葉を失った。
「そなたらは人ではあるが、人として過ぎた力を持つ存在。世界中のどの人間よりも天上人に近い者。……そなたらは、その力を以って、やろうと思えば侵略者にもなれる。今一番、高貴なる人間たちに眼をつけられている存在。邪魔にもなり、有益にもなる。しかし――選ぶのはそなたたちだ。我の頼みも、何もかも」
「……随分、勝手なことだな」
 言い捨てた奎宿に向かって、昴宿が「あんた、」と呼びかけてそれ以上の発言を制した。だが最古参である七星士は深い嘆息を漏らし、制止を跳ね除けて続けた。
「もっと簡単に言えねえのかよ。この世界を護りたいから四神を復活させたい。その為に自分は暫く眠りにつくから、その間この世界を護ってくれ――それでいいじゃねえか。……回りくどいんだよ、あんたの優しさはいつも」
「ほんま、じいさんの言うとおりやで。こんな面倒臭いことせんでも、始めから素直に説明しとったらえかったんや。人のことぎょうさん振り回しよって――俺らが言葉だけじゃ納得せんとでも思っとったんか」
「ああ」
 天帝の即答に、奎宿と翼宿が思いきりその場にずっこけた。
「あのなあ天帝さんよお! 俺らはあんたから見てそんなに狭量なのかよ」
「今の話が理解できへんほどアホやないっちゅうねん! っちゅうか爺! 答えなんかとっくに出てるやろ?!」
「おお、当たり前だ」
 盛り上がる二人に対し、残された三人はぽかんとした顔を差し出して彼らを見つめていた。今まで気づかなかったけけれどもしかしてこの二人って、ひょっとして同じ種類の人間なのではないだろうかと思いながら。
「答え、とは?」
 天帝が問う。
 二人は異口同音に叫んだ。
頼まれてやるよ、、、、、、、!」
 ――ああ……。
 二人を見据えながら、井宿は拳を握った。
 そう言えることの、宣言できることの強さが何よりも羨ましいと思った。彼の方にはっきりとそう答えることのできる、彼らの優しさが――。
「あんたから見ればどうってことはないんだろうが、俺も老い耄れだ。伊達に生き様晒してねえ。どれが一番いい選択か、どれを選べば自分が一番納得できるか――そんなこたぁわかりきってらぁ。俺の自己満足よりもこの世界の方が大事だ、もう封印だの何だの面倒臭ぇことはいわねえよ。あんたがやりてえならそれを手伝うまでだ。今更、他人行儀に頼むとか言ってんなよ。宿命が交わされた瞬間から、俺らとあんたの関係なんて腐れ縁みたいなもんだろうが」
「あんた……。それでこそあんただよ!」
「ッいてえ! 痛えよ母ちゃん」
 夫の弁に頬を紅潮させた昴宿が、奎宿の背中を思い切り叩いた。
「ほんまや、俺も同じ気持ちやで。俺らはいつまで経ってもずっと七星士や、能力ちからや七星士である己から逃げることはせえへん。能力ちからも宿命も全部受け入れて、ちゃんと消化して死ぬまで付きおうてやるわ。心配せんでもええって」
「僕もそう思います。もう、投げ出したりしません。今は、七星士である自分を誇れるから……。だから、大丈夫です。きっと護ってみせます、何があっても……!」
 翼宿に続いて、亢宿が決意を表した。
 あの時――自分がもう少し現実と立ち向かっていたなら、弟を助けられたかもしれない。青龍の巫女を救えたかもしれない。
 記憶を取り戻してから得た後悔が亢宿の心を蝕んでいた。だから、七星士として自分が何かの役に立てるのなら――この能力ちからを有意義に使えることができるのなら、何としても協力したかった。それが生き残った自分が出来る唯一の償いであり、亡くなってしまった人たちへの供養だと思った。
 そして、自然と一同の視線が無言を貫いていた男に向かう。
「……井宿」
 天帝が穏やかにその名を呼んだ。
 井宿は顔を上げて、天上人を見上げた。
 眼差しの暖かさを、優しさを一身に受けて、井宿は――やはり、耐え難い寂寥感を覚えた。そして何かを口にする前に、思いもよらぬ不意打ちを喰らった。
「そなたには世話をかけた」
 柔らかい口調で繰り出された言葉の意味を、井宿は一瞬理解できなかった。動揺が唇にまで伝わる。
「な、何を」
「我の手となり足となりて働いてくれた。……感謝している」
 ――そんな。
 そんな、そんな……そんな――!
 涙が零れそうになるのを、歯を食いしばって耐えた。
 いつだって、甘えていたのは、助けてもらっていたのは俺の方なのに。貴方が手を差し伸べてくださらなければここまで浮上はできなかった。恐らく水の中で腐り続けたまま、朽ちることを夢見続けていただろう。
「とんでもありません。俺の方こそ……本当に、ありがとうございました」
 深々と頭を下げる。こみ上げてくるものをなんとか堪えきったとき、空に御座す天帝が微笑んだ。
「世界も、そなたら自身の道程も――そなたらなら大丈夫だと、信じている」
 だからこれ以上の言葉は要らぬだろう。言外にそう伝わる台詞だった。
「我は暫し眠りにつく。悠久のときを越えても、我はそなたらを忘れまい。いついかなる時に目覚めても、世界のあらゆる記憶を有し、我は人に寄り添おう。――我ら天上人はそなたらを誇りに思う。それは我らが消滅するまで変わらずに抱き続ける、我らの真実となろう」
 光りが再び膨れ上がる。
 黒い光り、白い光り、青い光り、紅い光り。
 世界を象徴する四つの光りに包まれて、世界を統べる天上人は空に舞った。
 始まりがあれば終わりもある。この世界にも始まりがあった、ゆえに何れ終わりを迎える。
 それは避けられぬ真理。世界の理。
 ――――しかしながら、足掻くのが生きとし生ける者のさだめ。
 そして天上人もまた、この世界の中で、足掻く者に過ぎない。
 だからこそ。
 世界が在る意味を、創る為に。
 天上人は抗う。
 世界を護る為に。
 かつて異世界でこの世界を創った、、、、、、、、、、、、創造主に抗い、世界の命運を捻じ曲げる。
 そしてこの世界を存続させ、この世界に住まう人々を生かす――。
 最後の神獣が召喚されたとき、四神の役目は終わった。そしてこの世界の役目も。
 ――だが終わらせぬ。
 それは天上人の独断。天上人の我侭。天上人の望み、意志。
 彼の者も登場人部の一人に過ぎない。だからこそ――抗える。
 この世界の為に、生きとし生ける者の一人として。
 宿命の星を宿した者達を一人一人眺めて、天上人は告げた。
「……ありがとう」
 集結した光りは天上人を包み込み、光りごと天の彼方へ消えた。
 そしてその瞬間、太一君が新たに創った四つの四神天地書には、新たな文言が刻まれていた。



 天に座す天帝、新たな四神創造の為、自らに憩いを与える。

 二十八宿の星を宿す者達、静かにそれを見守る。

 かくて伝説は再び伝説となり、ときが開けた暁に物語の幕が開くであろう。

 この世界を、満たす為に。


















090322