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10.飄々




 ひゅっと現れてはひゅっと消え去る。
 まるで頬を撫でる野分のよう。
 なのだ!、なんて明るく笑う顔は童の可愛さに通じるものがあるけれど、時折見せる真顔は酷く哀しげで、見ているこちらがドキッとする。
 飄々と現れては飄々と去る。
 良く言えば深く立ち入らない人。
 悪く言えば気紛れの逃げ上手。
 もっと悪く言えば。
「臆病」
 面と向かってぽつりと告げる。相手は小さく首を傾げて、質問の意図を俺に尋ねた。
 喉で笑いながら、半分ほど飲んでからそれ以降は全く減らへん相手の杯に酒を注いだ。
「攻児君」
「油断しとる方が悪いんですよ。厲閣山うちでは」
 困ったように眉を顰める。それでも律儀な人やから、他人に注がれた酒はちゃんと最後まで飲み干すだろう。
 俺が注いだ酒を一口含んで、その人は言った。
「さっきのはどういう意味なのだ?」
「引っかかりますか?」
 相手の動きが止まった。用心しているように、俺には見えた。
 お面を貼り付けた顔はあまり表情が読めない。そんなところも卑怯やと何となく思う。俺が困る話やないから気にすることはないんやけど。
 短い沈黙の後に、その人は俺にとっては意外な台詞を吐いた。
「……君は鋭いから苦手なのだ」
「ホンマですか? ちょお、ショックやなあ。嫌われとるとは思わんかったですわ」
「嫌いではないのだ。誤解しないで欲しいのだ。……ただ、少し……難しいのだ」
「何がですか?」
 にやけながら尋ねる。その人はいじけたように眉を寄せて「そういうところなのだ」と呟いた。俺がこの会話を愉しんどるのを察しとるのやろう。
「いややなあ、そんな反応せんで下さいよ。俺が苛めてるみたいやないですか」
「十分苛めてるのだ……。君と話しているとドキドキするのだ」
「ふっ……井宿はん、俺に惚れたら火傷しまっせ」
「そういう意味じゃないのだ! その……」
 一旦、口を噤む。そして何を思ったか、ぐいっと杯を仰いで酒を半分ほど飲み干した。
 自棄になっとるんやろうか。それはそれで面白いが。
「その……君と話していると、すぐペースが乱れるから」
「ほう。自分の思い通りに話せへんっちゅうことですか」
「そう……なのだ」
「へえ。それで?」
「え? その……だから、何を言われるか予測できないからドキドキするのだ」
 ドキドキねえ、と反復して俺は自分の杯に酒を注いだ。
 ドキドキか。素直に不安やと言わへんところが、この人もえらい強情やなと思いつつ。
「せやけど予測のできる会話なんてつまらんでしょう。幻狼やて、けっこうとんでもない方角から妙なこと言うたりするやないですか」
「それは、そうなのだが……でも君を相手にするより冷静でいられるのだ」
「酷っ! 井宿はん、やっぱり俺のこと嫌いなんや」
「違うのだ。そうじゃなくて、君は……」
 そこでまた言葉を切る。そして酒を一気に仰いだ。
 よほど俺が苦手らしい。酒に逃げとうなるくらいに。 
「君は……なんです?」
 そして俺は更に追い詰める。解っていながら窮地に追い込む。別に苛めたいわけやない。幻狼が懐いているから妬いているというわけでもない。いや本当にそんなことは断じてない。むしろ同情しとるくらいや。そう、俺はこの人に仲間意識を持っている。共に幻狼の近くにおる人間として。
「君は……意地悪なのだ」
「井宿はんやっぱり俺のことが嫌い」
「違うのだー!」
 むきになって声を荒げる姿に俺は爆笑した。そんなに否定するということは本当に嫌われてへんのやろう。相手も俺に同情しとるのかもしれん、共に幻狼の近くにおる人間として。
「あっ! 井宿はん、うしろ!」
 俺は不意にその人の後ろを指差した。素直に振り返った隙に、その人の杯に酒を注ぐ。
「……? 何もないのあーっ!」
「はっはっはっは、油断しとる方が悪いんですって」
「ひ、酷いのだ。オイラこんなに飲めないのだ」
「大丈夫ですよ、明日二日酔いになったって俺が介抱しますさかい」
「……あんまり嬉しくないのだ……」
「何ですと?! この厲閣山で『影の男前ランキング』の首位を二十年死守しとるこの俺の介抱を拒む男なんてここにはおりませんよ!」
「聞くからに嘘なのだ……二十年って君いつから厲閣山にいるのだ」
「俺は実は恐怖の大王の子孫なんで歳は取らないんですよ」
「っ……ぶっ」
 ははははっ、と高らかな笑い声が響いた。近くにいた連中が驚いてこちらを見やる。
「しまったのだ、つい笑ってしまったのだ」
 その発言に「シャレですか?」とツッコミを入れたかったがそこをぐっと我慢して、俺は鷹揚に笑んだ。
「ふふ、ついに俺の術中にはまってしまいましたね井宿はん。一度はまったら抜け出したくても抜け出せん……そう、俺はまるで池○めだか師匠の蟹バサミ((C)吉○)のような男」
「や、やめるのだ。もう笑わせないで欲しいのだ」
「いやいやそうはいきまへん。厲閣山うちの飲み会は『とにかく何が何でも楽しむで!』がモットーですから。井宿はんにもきっちり楽しんでもらわんと。井宿はんいつも心から笑わん人ですからねえ」
 不意に核心を突くのは得意っちゅうか、癖や。あまり人に喜ばれることはないけれど。
 笑い声がぴたりと止まって、お面の狐目が俺を捕らえた。そこから読み取れる感情は本当に少ない。せやからやはり卑怯やと思う。お面に隠れている傷なんぞどうでもええから、素顔を暴きたくなる。もっと曝してみろやと言いたくなる。
 ふと、俺はほんまにこの人を好き好んで苛めとるのかもしれんと思った。完全に隠れ切れへん素顔が、飄々とした言動の中に見え隠れする本音が、俺の嗜虐心を煽る。
「それなのにそないな面つけて、嫌味ったらしいったらありまへんわ」
 口に出してから少しだけ後悔した。その言葉は確実にその人を傷つけたやろうから。幻狼が遠くの席におって良かったと思った。聞かれとったらきっと怒鳴られる。相手が俺やなかったら、きっと無言で殴り飛ばしとる筈や。
 その人は俺から視線を外して、酒に口をつけた。ほんのりと赤味がさしてきた顔を少し俯けて。
「……残念ながら、君には関係ないのだ」
 俺は酒を飲んで苦笑した。
 可愛くない。素直に動揺してしまえばええのに。そうしたら俺やって幻狼やって、救いの手を差し伸べ易いんやから。
 だがその人は頑なにそれを拒む。本当に強情で、頑固な人だ。もっと己の弱さを素直に吐き出せていたら、そんなに傷つくことはないやろうに。器用そうに振るまっとるけれど、めちゃくちゃ不器用やんけ。
 だいたい俺は飄々としとる人間なんか嫌いなんや。地に足がついていないだけやないか。
 いや、言い直そう。
 地に足がつくことを、怖がっとるだけやないか。
 ……なんて、流石にそんな残酷なことを口に出すつもりはあらへんけど。
「冷たいなあ、井宿はん。俺はこんっなに井宿はんのことが好きやのに」
「だから、君の言うことは聞くからに嘘なのだ……」
「いやほんまに。厲閣山うちにはおらんタイプですからねえ、話てておもろいですわ。意外とボケボケやし。悪い意味で」
「悪いのだ……?」
「悪いですねえ。鈍チンですからねえ、井宿はん」
「……つまり攻児君はオイラが嫌いなのだね」
「嫌ですか?」
「は?」
「俺に嫌われるの」
 その時、その人はとてもとても困った顔をした。幻狼に見せてやりたいくらいの、最大級の困り顔。
 返答に窮しているその顔を見て、俺は噴き出しそうになった。そして相手が沈黙しとることをええことに、俺は両手を合わせ、とびっきりの笑顔を向けて言うてやった。
「ああっ! そんなに困るっちゅうことは、実は俺のこと大好きなんですね井宿はん! いやあ~嬉しいですわ~、今度俺と組んで幻狼倒して厲閣山乗っ取りません?」
「いやっ、ちが……」
 なんで「う」まで言えへんのやろう、この人は。中途半端な心遣いは余計な誤解を生むだけやと誰か教えたれ。
「ええんですよ井宿はん、無理せんでも。俺も幻狼も、井宿はんとはこれから一生モンの付き合いやと思ってますから」
 俺は声のトーンを少し下げて、呟くように告げた。
「時間はたっぷりありますからね。ま、気長に仲良うなっていきましょうや。さっきみたいに、馬鹿話で楽に笑えるように」
 ぽかんとした顔を差し出したあと、その人はふっと微笑んだ。
 お面を貼り付けていても読み取れる、優しくて暖かい微笑み。
 だがその口から吐き出されるのは、やはり硬質な声音。
「やっぱり……君と話すのは苦手なのだ」
 ふ、と笑んで俺は心内で返答を返した。
 やっぱり、貴方は強情な人ですね、と。
  
 











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