13.水鏡


 感覚が消えてゆく。
 揺れる水面。
 増える鏡像。
 歪む傷跡。
 滴る涙と水滴が水鏡を破壊してゆく。

 井宿は呆然とそれを眺めながら口を閉ざした。
 何を言ったら良いのか解らなかった。
 ただ指の間をすり抜けてゆく水を黙って見送るしかなかった。
 誰も何も言わない。
 静謐がその場を支配し始めた頃、井宿は悟った。
 ――ああ、みんな。
 みんながいる。
 ごく当たり前のことに気づいて、顔を上げる。仲間たちが心配そうな顔をして井宿を見下ろしていた。
 そんな彼らを目に入れて、井宿は急に嬉しくなった。
 何故かは解らない。だけど不安げに自分を見つめている彼らがとても可愛く思えた。
 井宿は微笑して仲間に告げた。
「……戻ろうか」
 ここではない地上へ、仲間の元へ。
「……いいのか、井宿」
 魏の問いかけに頷いて、井宿は立ち上がった。
 水の中を漂っていた、飛皋が身に着けていた玉を拾い上げて。
 ――親友じゃないか。
 八年前、あの洪水と共に俺は何もかも捨ててしまったけれど、お前はずっと持っていてくれたんだな。
 死んでしまっても、魔に堕ちてしまった後も、ずっと。
「早く戻らないと、みんな風邪を引いてしまうのだ」
 努めて明るく喋ると、一瞬ぽかんとした翼宿がふ、と笑んで「せやな」と首肯した。
「柳宿と軫宿も待っとるやろうし」
「勝手に出て来てしまったから、きっと怒ってるのだ」
「えっ、そうなの?」
 尋ねる美朱に「なのだ」と返して錫杖を取り出す。空間を飛び越える笠を被って、井宿はにこっと笑った。
「さあ、行くのだ」
 眩い光りに包まれて、一同は消えた。
 井宿は目を瞑りながら、もう水面に写る顔に怯えることはないだろうと思った。






080305