右膝(4)―終幕




 どうして誰もいないんだろう。
 みんな何処へ行ったんだ。
 どうして俺は置いていかれたんだろう。
 何か悪いことをした?
 だから独りぼっちなのかな。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい、ごめんなさい。
 朱雀の証なんて要りません。
 もう護られたくありません。
 七星士である名誉も栄誉も、誰かに譲ります。
 俺には七星士を名乗る資格がない。
 罪人なのです。裁かれるべき人間なのです。
 だからどうか。
 神様、仏様、天帝様。
 どなたでも構わない。
 裁きの鉄槌を下してください。
 七星士の証など、要りません。
 こんな力など要らないのです。
 すべて放棄します。誰かに代えてください。
 だから。
 この世界から消えることを許してください。
 お願いします。
 お願いします。
 お願いします……。


 
 眼が覚めると、暗い天井が見えた。
 ここは何処だろう。まどろんだ頭で考える。直ぐに答えが見つからない。身体も精神こころも疲労している。それだけは解った。
 指を動かすことすら億劫だ。嘆息をして、ゆっくりと首を傾げる。視界に長身の男が入ってきた。
「よう。眼が覚めたか」
 その顔を認識した瞬間、頭が瞬時に全てを理解した。ここが何処なのかも、眼前に立つ男が何者なのかも、気を失う前に何があったのかも――。
 思わず眉を顰める。何を言ったらいいのか、どんな顔をしたらいいのか解らない。
 苦笑した男が椅子を引いて、寝台の近くに座った。
「……大丈夫か?」
 ――大丈夫?
 言葉の意味を考える。大丈夫――大丈夫なのだろうか、俺は。
 解らない。否――解りたくない。
「あのな。どんな事情があるか知らねえし、聞く気もねえが……そういうの全部、一度横に置いちまわねえか」
 ――何を。
 何を言うつもりなのだろう、この人は。
 心臓が早鐘を打つ。身体の底から色の暗い恐怖が沸き立ち、寒気を覚えた。
「その……傷のこととか、七星士のこととかよ。一度どこかに」
「できっ……ない……」
 無理やり出した声は裏返った。
 そんなことはできない。できないという以前に、してはならないことだ。
 見ないふりをするなんて、そんなことは、そんなことは……!
 胸に痛みが蘇る。
 その痛みだけで、何度も死ねると思った。だけど、現実は、身体も、心さえも、壊れることを許してはくれなかった、誰一人として……! あの洪水も、賊も、神も仏も天帝も――!
 それだけ重い罪なのだ。
 苦しむ度に得る答え。
 だから俺はそれが相応の報いなのだと思った。そしてその報いから逃れようと思うことすら、罪なのであると。
「できねえか。……まあ、そう言うならしゃあねえな。無理強いはしねえよ」
 その言葉を聞いて俺は僅かに安堵した。それと同時に、申し訳ないと思う気持ちが心に芽生える。
 けれどもうどうにもできない。こればかりは譲れない、俺は罪人なのだから。
 ――……七星士、なのに。
 とんだ恥曝しだ。俺が犯した罪など何も知らないで死んでいった父や母が今の俺を見たら、悲嘆に暮れるだろう。勘当されてもおかしくない。
 仮定の話なんて、どれも叶わないものばかりだけれど。
 ……喉が苦しい。
 泣きたい。
「お前の人生はお前のもんだ、お前の思い通りにすればいい。ただ――勝手な話だけどよ。俺は、お前には幸せになってもらいたいと思ってるぜ。その眼の傷も七星士の宿命も、俺には関係ねえからな。……だからよ、そう何もかも背負い込むな。どうしても死にたくなったら俺に言え。たとえ朱雀の力が阻んだとしても、俺が必ずお前を殺してやる」
 だから安心しろ。
 その人はそう続けて、笑った。
 酷く乱暴なことを言われている――いや、結局許されているのか? 何もかも包み込んでしまうかのような優しさで、満たされている――と思い至ったのは、もっと後のことだ。
 その時は、「安心しろ」という言葉に従うように、酷く安心した。
 すうっと胸が楽になる感覚――全身から力が抜けて、解放される。
 緩んだ目元から、堪えきれずに涙が零れ落ちた。
 その時、何かに気づいたようにその人の笑みが深くなった。
「なんだ、お前の眼って鮮やかな緋色なんだな。気づかなかったぜ」
 軽快な口調でその人は言った。
 あまりに可笑しそうに笑うものだから、俺も釣られて口端を上げた。
 何ヶ月かぶりに、人に戻れた気がした。







 終


















 080726