感傷的クリスマス




 何気なく「クリスマスって何する日なん」と聞いたら、
 「でかいケーキを食う口実を得られる日だ」と返された。
 そうか、とにかくケーキ食ってればええんやと、
 クリスマスを知らなかった俺は思うた。
 ……なんて、そんなんはもう何年も前の話で。






 感傷的クリスマス






 クリスマスといえば、毎年『至t山』チームの連中と夜通し賑やかに騒ぐのが恒例だった。だが今年はヘッドである幻狼が違うパーティに顔を出すことになり――今年に知り合った例の朱雀七星士ご一行様たちの集まりである――毎年の恒例行事は自然と取りやめになった。否、あのチームの連中のことだから今頃どこかで勝手に集まって勝手に騒いでいるかもしれないが、攻児は顔を出す気には到底なれなかった。
「寂しいのか」 
 からかう声が隣りから聞こえる。
 攻児はレーシングカーが駆け抜けていくテレビの映像から眼を逸らさずに「ちゃう」と返答した。
「ヘッドがおらんのに騒いでもしゃあないから」
「寂しいんじゃねえか」
「ちゃーいーまーすー。ムカついた、残しといてやったマカロン食うてやる」
「待て――あ」
 液晶画面にレーシングカーの凄惨なクラッシュ映像が流れる。同時に隣りに座っていた桓旺が溜息を吐いてプレイステーションのコントローラーを放り投げた。
 けけけ、と攻児は笑う。
「動揺しすぎやろ、ケーキについとったマカロンくらいで」
「マカロン好きなんだよ」
 そう言いながら、桓旺は大きいフォークで半分ほど減った6号サイズのホールのチョコレートケーキを掬い、一口食べた。
 髭面の大男がいう台詞ではないと攻児は思う。
 クリスマス当日、攻児は桓旺の家に居た。今年は何か予定があるのかと家主に尋ねたら「家でケーキ食いながらゲーム三昧の予定」という悲しい答えが返ってきたので、それなら付き合うたるわと一緒に引きこもることにしたのだ。
「ちゅうかホール食う度に毎回思うんやけど、なしてカンさん切り分けんで直食いするんや?」
「その方が美味いだろ。それにどうせ全部食うんだから、切り分けても仕方ないし」
 そんなもんかなあ、と思いながら攻児もケーキを口に運ぶ。しっとりとしたチョコレートクリームと、ふわっとしたスポンジの取り合わせが心地良い。
「次は何する?」
「桃鉄しよ。99年設定で」
「徹夜どころじゃないぞ、それ」
「ええやん、飽きへんし」
 ハードにゲームディスクをセットして、オープニングを待つ。
 冷めたコーヒーを啜り、攻児は間延びした声で「カンさんさあ」と言った。
「クリスマス用に女作ろうとか思わへんの?」
「色んな意味で面倒臭いからな。お前は?」
「……右に同じく。でもそれって激しくどうかと思わへん? 幻狼やってついに恋人できたのに」
「ああ。寂しいのか」
「ちゃういうてんやろ。単に年頃の男として、っちゅう話ですよ。ちゅうかクリスマスに野郎とホールケーキ直食いしながらゲーム三昧とかどうよ、っちゅう話ですよ」
 努力次第ではもっと有意義な過ごし方もできるだろう。特に桓旺はスタイルも容姿も整っているから、身なりさえきちんとすれば女など選り取りみどりな筈なのだ。
「カンさんなら幾らでも彼女作れるやろうに」
「だから……面倒臭いんだよ」
「いや、そうやなくて。ヤりたいから作るんやなくて、ちゃんと――恋して彼女作る、みたいな。恋愛したいって思わへんの?」
 言いながら、何を寝言をほざいているのだと攻児は思った。
 恋をして好きな人と結ばれた親友――その割りに未だ前途多難らしいが――に感化されているのかもしれない。
 桓旺は困惑した様子で呟いた。
「……思わなくもないけど」
「けど?」
「……恋愛なんてほとんどしたことないから」
「……カンさん今年幾つやっけ」
「年の話はするな。女が――彼女がいた時期もあるし、それなりに付き合った経験はあるけど……多分、恋してたわけじゃないしな。別れても別にどうでも良かったし」
「……カンさん今年幾つやっけ」
「だから年の話はするな。お前は?」
「え?」
「本気で誰かに恋したことあるのか」
 攻児は黙ってテレビ画面を見つめた。
 心のどこかで思っている。
 成就するわけがない。幸せになれるわけがない。
 願いなんか叶わない。
 予期せぬ奇跡がやって来ることはあっても、自分が、自分から欲しいと願ったものなんて絶対に手に入らない。
 何故そう思うのかというと、前例がないからだ。
 願いはいつだって叶わなかった。神様はいなかった。幾ら探しても、どこにも。
 ――寂しいんやない。
 攻児は気付いた。
 寂しいんじゃない。自分でもそうかもしれないと思っていたけど、それは違う。
 ――……羨ましいんや。
 恋をして、アプローチをして、告白をして――その人と幸せになろうと足掻いている、親友が。
 ――ありえへん。
 何もかも。ありえない、ありえる筈がない。
 羨ましいと思うのは、出来ないからだ。
 自分は、絶対にそんなことが出来ないからだ。
 嘘なら幾らでも吐ける。だけど、本当に欲しいものだけは口に出来ない。
 欲しがれないのだ。手が届く筈がないから。
 ――ありえへん……。
「攻児?」
 生まれ育ちの所為だろうか。そんなことは解らない。
 神様はいなかったけれど、奇跡はやって来た。神ではなく人による救いの手によって、攻児は生かされた。否――在ることを許された。
 魄狼たちに出会い、幻狼に出会い――攻児は在り続けることに希望を見出せた。心の底から笑えるようになった。
 ――それだけでも僥倖なのに。
 更にそれ以上を望める立場なのか?
 本気で恋だなんて、後悔するだけだ。自ら欲しいと願ったものが手に入った試しなんて今まで一度もないのだから。
「……あらへんよ」
「……えらい長考だったな」
「十九年、隅々まで振り返って検索してみたけどあらへんかったわ。カンさんはほんまにあらへんの? 返答によってはマジでドン引きしますけど」
「あー……、じゃあ言わない」
「あらへんのか……。俺も将来カンさんみたいになってまうのかなあ」
「ああ……こんな俺が言うのも何だがな」
 フォークに刺したピンク色のマカロンを一口齧って、桓旺は続けた。
「恋愛っていうか……女断ちはしない方がいいぞ。友達(ダチ)と女はどっちも違う意味で大事なもんだし、どっちもどちらかの代わりは務まらねえからな」
「ほんまにカンさんには言われたないけど、……女ってそんなに大事?」
「面白いくらい男とは違うからな、考え方も感じ方も――。恋じゃなくても付き合ってりゃ、それなりに見識とか世界とか広がって面白いぞ」
「……さっき面倒臭いとか言うてへんかったっけ」
「ヤるのが目的だとな。そうなると『好き』じゃないと長続きはしないなあ……でも別れようと思う前にいつも振られるんだよなあ」
 攻児は思わずぶっ、と啜っていたコーヒーを吹いた。
 駄目人間加減がだだ漏れである。
「それ、気がないってバレてるんやないの?」
「そう……いや……、けっこう『好き』な場合でも振られるな。自分としては気があるつもりなのに、いきなり振られたことが何度か…………」
 口を開けたまま言葉が止まる。
 攻児が「なん?」と尋ねると、桓旺はばつが悪そうな顔をして言った。
「だから……さっきの話だ。本気で誰かに恋したことなんてねえんだ。……って、解ったんだよ、何ヶ月か前に振られて」
「なして?」
「……かなり好みだったんだよ。もしかしてこれが本気かもしれないと思ったぐらい、好きだと思ってたんだ。で、半年くらい付き合って振られたんだけど――その時言われたんだよ。『私は今から貴方を振るけど、追いかけてくる気ある?』って」
 ――は。
「はあ……?」
「冗談かと思ってな。答えあぐねていたら、『ないでしょ?』って言われて……納得したんだ。振られたら、それで終われるんだよ俺は。でも本気でっていうのは……そんな簡単なもんじゃないだろ。本気で好きなら別れたくないだろうし、別れたくないなら説得なり何なりするだろ? でもどれも頭に浮かばなかった。結局、振られちまったらどうでもいいんだよ。……好きは好きだけど、なくなっても構わないもんなんだ。その程度の『好き』は本気じゃねえだろ。本気ってのはきっと、もっと執着的なもんなんだ――と三十路迎えて今更気付いた。以上、恥曝し終わり」
 照れたのか、桓旺はマグカップに入ったコーヒーを一気に仰ぐと、フィリップモリスの箱を手に取り一本咥えて火をつけた。
 本気ってのはきっと、もっと執着的――。
 それは解る気がする、と攻児は思った。
 だからきっと――親友の恋は本気なのだ。相手が同性で、かつ限りなく攻略が難しくても諦めなかったくらいだから。
 ――ちゅうか……。
「三十路でクリスマスに素面でゲーム三昧って……」
「ほっとけ。こうなりたくなかったら合コンにでも行けよ」
「合コンなあ……面倒やなあ……関西人っちゅうだけでお笑い的なことを期待されるし」
「ああ……お前、案外根暗だしな」
「根暗言うな……」
「基本的にペシミストでシニカルでリアリストだよな。魄狼の薫陶を受けた割りにオプチミストじゃないし、ヘドニズムでもないし。装ってはいるけど」
「カンさんはたまにえらいサド入るよな……」
 絶え間なく変動してゆく液晶画面を見つめながら、身も蓋もない会話を交わす。
 遠慮なんてない、軽口の叩き合い。自分の後見人である魄狼が相手ではこうはいかない。攻児にとって魄狼は『予期せぬ奇跡』そのもので、生きている神様のようなものだから。
 だから昔から、魄狼に言えないことは桓旺が聞いてくれた。子供好きで面倒見のいい桓旺は、魄狼とは違う意味で『敵わない人』だと攻児は認識していた。
 逆立ちしたって勝てっこない、度量と優しさを備えた人。
 そんな桓旺が、白煙を吐きながら「だからさ」と会話の続きを始める。
「お前、もうちょっと曝け出してもいいんじゃないか? せめて幻狼ぐらいには」
「いやいや。何の話ですかいきなり」
「お前が本当は根暗のペシミストだって知っても、あいつはドン引きしたりしねえよ――って話」
 ――ああ。
 いつか、そうなれたらいい。全てを曝け出して、頼ったり頼られたり――そんな関係になれたら。
 なれたら――。
「……恐ろしいんよ」
 攻児はぽつりと呟いた。
 何が、と桓旺が間髪置かずに問う。
「ありえへん速さで強うなってくから」
 出会ってから四年――生まれて初めて出来た同世代の友達。 
 二つも年下なのに外も中もえらく強くて、いつ見ても眩しくて。
 魄狼が神なら、幻狼は――。
「ハナっから追いついてもおれへんのに――差ぁ開くばっかりや」
「……卑屈になるなよ」
「なってへん。事実やろ」
「違う。幻狼はお前を信じているし、受け入れている。お前自身を認めてる。それ以上に大事なことがどこにある?」
 桓旺は煙草を灰皿に押し付け、攻児の頭にぽんと手を置いた。
「お前らはちゃんと対等に付き合えているよ。つりあわないなんて思うな、それはお前を認めてる幻狼に対して失礼だぞ」
 三十路で甘いもの好きのゲーマーはそう言うと、一度ぐしゃっと攻児の頭を撫でた。
 感傷的になっているのは、クリスマスにおっさんと二人でケーキ食いながらゲームなんかしているからだ――と思いつつ、攻児は照れ隠しに悪態を吐いた。
「……カンさん。俺もう大学生なんやけど」
「そうだな、大学生が悩む問題じゃねえよな」
「うっわムカつく、超ムカつくごっついムカつく。喰らえボンビー!」
「あっ、てめっ……しかもキングボンビーかよ……っ」
 暗黒色に染まるテレビ画面を眺めながら、思う。
 感傷的になっているのは、クリスマスにおっさんと二人でケーキ食いながらゲームなんかしているからだろうけれど――そんなクリスマスがあってもいい。
 だってクリスマスは『でかいケーキを食う口実を得られる日』なのだから。それは昔、隣りに座っている敵わない人から教えてもらったこと。
 ――あー、嫌になってきた。
 攻児は心内で苦笑する。
 きっと俺は、一生かかっても敵わへん。でも――。
 大きなフォークで残り少なくなったチョコレートケーキをつつく。
 もしかしたら来年も――と浮かんだ疑念を、攻児はケーキと一緒に飲み込んだ。
 
 




















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