刻の断片(魄狼編)




 全ての真相を開示させるために。



 候俊宇との邂逅後。
 東京。

「すんません」
 裏口の扉を叩くと、からりと戸が開いた。
 中から青年――といってもまだ二十歳前くらいだろうが――が顔を出す。生白い顔は青みが掛かり、長く伸ばした前髪が左眼を覆っていた。
「夜分晩くにすんません。住職の影喘さんはおりますか?」
 男は――魄狼は愛想の良い笑みを浮かべた。
 青年は一瞬戸惑った様子を見せたが、「少々お待ちください」と述べて奥へ引っ込んで行った。
 ここは東京の郊外にある、真言宗の寺だ。黒くくすんだ外観を見るにかなりの年代物である。ここら一帯は戦前からある建物も少なくないようだが、中でもこの寺は飛び抜けて古く見えた。門や壁の一つ一つが神秘的といっても過言ではない雰囲気を醸し出している。
「よう」
 玄関口に現れた住職に、魄狼は軽く会釈をした。
 坊主にしては長い髪に、だらしなく着こなした着物と袈裟。極めつけに煙草まで咥えている。全く坊主に見えなかった。
「久しぶりやな。元気にしとったか」
「…………」
 影喘は腕を組むと、じっと魄狼を凝視した。
 長い沈黙が場を制する。
 影喘はたっぷりと間を取ったあと、眼を逸らした。
「よし、思い出せない。帰れ」
「待て待て。薄情な男やな。ちゅうかそれが客人に対する態度か」
「関西人の知り合いなんざいねえよ」
「四神と二十八宿」
 踵を返して奥に引っ込みかけた影喘の動きが止まる。
 魄狼はふと口端を上げた。
「実はな。この間、拾ったんや。二十八宿の星の一つ――朱雀の一人を」
 影喘の顔色が変わった。
「どや? 話聞く気になったか」
「……ああ」
 入れ、と言われたので影喘に続いて寺に足を踏み入れた。
 誰もいない奥の座敷に通される。寺の中はどこも清らかで涼しい空気に満ちていた。人の気配はするのに静か過ぎて、印象としては不気味である。
「適当に座れ。酒でいいか」
「茶よりはマシやな」
 近くにあった座布団を引き寄せて、魄狼は腰を降ろした。
 座敷にはたくさんの巻物や掛け軸、本、仏具の類が乱雑に配置されていて、まるで倉庫のようであった。
 寺とはどこもこのようなものなのだろうか、との問いが頭に浮かぶ。恐らく違うだろう――多分、この寺だけが途轍もなく特殊であり、異端なのだ。
「真言坊主ってみんな破戒を極めとるもんなんか?」
「俺ぁ破戒なんざ極めてねえよ」
 一升瓶を担いでやってきた影喘が正面に座った。湯飲みを置いて、酒を流し入れる。
「おもろいくらい説得力ないで」
「従うことだけが信心じゃねえ。……で?」
「ああ。……ちゅうかお前、俺のこと思い出したんか?」
「高校の同窓だろ。名前は忘れた。ていうかほとんど覚えてねえ」
「お前、途中で辞めたもんな。寺に居候してたんやっけ?」
「よく覚えてるな」
「なして辞めたんや?」
「親父が死んでな。ここ継がねえといけなくなったから、東京に戻ったんだ」
 へえ、と唸って注がれた酒を口に含んだ。辛口でなかなか美味だ。
「……で?」
「ああ。……ちゅうかほんまに覚えてへんのか? 短い間やったけど、けっこう意気投合して殴り合ったりしてたのに」
「なんだよそれは」
「俺なりの友情の鍛え方」
 真顔で答えると、住職は「あっそ」といって顔を背けた。
 高校時代、二人は奈良の県立高校に通っていた。魄狼は一年生の頃から番長としての地位を確立していて、校内外で名の知れた存在であった。一方の影喘は、成績優秀だが大人しく目立たない存在だった。
 そんな魄狼と影喘はひょんなことから顔見知りになり、度々つるむようになった。高校に通いながら寺で坊主の修行をしているという影喘に、魄狼は興味を持っていた。
「悪いな。親父が死ぬ前のことは、ほとんど覚えてねえんだ。その後が色々しんどかったから」
「さよか。大変やったんやな。……じゃあ、やっぱりアレも覚えてへんのか……」
 湯飲みに口をつけながら、魄狼は過去を回想していた。
 あれは、満天の星空の下。
 制服姿で酒を仰いでいた時――。
「……そう、飲んでたんや。あの時も、こんな風に――仲間の家からくすねてきた一升瓶、二人で空けた」
「……クソガキだな」
「まったくやな。それでまあ、公園かどこかで飲んでたんや。えらい星が綺麗な夜でな、お前も珍しくテンション高かった――ように見えた」
 だからあんなことを口走ったのだろう。
 一般人が聞いたら引くような、伝説の話を。
「そん時、お前が俺にいうたんや。星空を見上げながら――七つの星の話を」

『七つの星の宿命を持った者たちがいるんだよ』
 は……?
『四神信仰ってのがあってな。四神の下に二十八宿の星があって、その星っていうのは人間のことでよ。四神に選ばれた人間には、その証として体のどこかに字が浮かび上がるんだ』
 字? ……例えば?
『鬼、星、柳、井、翼、軫、張……これは南方朱雀七星宿』
 すざく? ……あ、四神って高松塚古墳の、アレか?
『そう。朱雀、青龍、白虎、玄武っていうアレ。まああの古墳は直接的には関係ねえけどよ。とにかくその宿命を背負った奴らっていうのが、この世に二十八人いるわけ』
 ……お前がその一人とか?
『違ぇよ。でも近い』
 近い?
『星の周りにはたくさんの星がある。二十八宿……それを支援する星の一つに俺は生まれた』
 支援?
『見守り助けるっていうことだ』
 だから修行してんのか?
『それもある。俺の場合は、家が……いや、全ては必然なのかもな。あいつの側に俺がいるのも、俺がお前にこんなこと話すのも』
 え?
『無駄なことなんざ何一つねえんだ。だから、巡り巡って――星の道筋が交差するかもしれねえ』
 わかるようでわからん話やなあ。おもろいけど。
『わからなくていいぜ。今はまだ関係ねえし。第一、巫女が降臨しなきゃどうにもなんねえしな』
 みこ?
『それこそ伝説だよ。いや、伝承か? 昔から続いている言い伝えだ。伝説の巫女が降臨した時、七星士が目覚め、四神が召喚されるであろう――』
 ……それ、マジやったらむちゃくちゃ凄いことなんちゃうんか。
『むちゃくちゃどころの騒ぎじゃねえよ。下手すりゃ世界が終わる』
 ははっ、マジでか。尚更おもろいやんけ。
『うるせえヤンキー。てめえ危険なことが好きなだけだろ』
 勿論。達成感を味わうには、乗り越える壁を作らんとならんからな。
『それでいつも自分から危険地帯に足を踏み入れてんのか。マゾかてめえは』
 いや、俺はサド。しかも重症と評判の。
『重症か。確かにな』

「……よく覚えてんな、そんなこと」
 魄狼の回想話を聞いて、影喘が感心したような呆れたような声を放った。
「えらい印象深かったからな。正直、俺もお前に関してはその話の印象ぐらいしかないねん。ダチやった期間、一ヶ月もなかったやろ。……けど、お前の言うたことの意味、今更やけどようやく解ったわ。確かにあれは必然や」
 影喘があんな話をしなければ、自分は先日救い上げた少年――候俊宇に興味を持つことはなかった筈だ。
「この間、大阪でガキを一人助けたんや。腕に『翼』の字があった。これも必然やろ? 俺とお前が会うたんも、俺と七星士の一人が会うたんも」
 今のこの、再会も。
 全ては運命だったのかもしれない。
「つまり俺も、お前と同じく『七星士を支援する星の一つ』――ちゅうことか」
「……多分な。今生でここまで関わってるっていうことは、違う世界でもそうなんだろうし」
「違う世界?」
「それはどうでもいい。忘れろ。要するに、縁が深いってことだ」
「なるほど。……で、俺はどないしたらええ? お前みたいに専門知識があるわけでもあらへんし――……そういえば、お前の七星士は?」
「さっき会ったろ。玄関に出た奴」
 ああ、と魄狼は応対してくれた青年のことを思い出した。
 少し影のある、青白い顔の――あれが七星士の一人か。
「どこの人や? 朱雀? 青龍?」
「朱雀。正確には南方朱雀七星宿」
「せやったら、俺が拾ったガキと一緒やんけ。仲間やろ、引き合わせるか?」
「……いや」
 沈黙の後に否定を述べると、影喘はぐいっと湯飲みを仰いだ。
「今はまだ早い。……気がする」
「……ふうん。ならええわ、お前がそういうんやったら間違いないやろ」
 少なくとも影喘はそういう業界の人間であり、専門知識にも長けている。今件に関しての判断は一任する他にない。
「俺が拾うたガキ――『翼宿』やな。今、中一やねん」
「ほんとにガキだな」
「ああ。ガキらしくないツラしやがるけどな。……せやなあ、中学までは向こうにいさせるわ。高校は上京させる。それでええやろ」
「……何企んでやがる?」
「企んでなんかおらんて。せやな、これは言うなれば直感や。高校に上がったら上京させろて、俺の何かが訴えとる。……そう感じるのも、それが必然やからとちゃうんか?」
「……かもな」
 この出会いが、再会が、会話が、行動が――運命なのだとしたら。
 ――否応なしに呑み込まれるんは、好みやないけど。
 荒れ狂う濁流を制し、乗りこなすことができたら――。
 実に面白そうじゃないか。
「ええ出会いと拾いもんしたわ。これで人生が十倍は楽しゅうなる」
「快楽主義だな。他人の人生使って遊ぶなよ」
「遊ぶんやない、遊ばれてやるんや。何せ、全ては運命やから、な」 
 悪戯っぽく笑って見せると、影喘が多少嫌そうな顔をして「俺は拾われたガキに同情する」と言った。
 魄狼は哄笑したのちに、「まったくやな」と返した。
 宿命を背負わされた者達が今後どのような道を辿るのか――想像もつかない。
 ただ、いつか迎えるだろうその日を、気張らずに受け入れることができるように――その日まで、あのオレンジ頭の少年を鍛えてやろう。
 魄狼はそう誓った。
 
 
 
 











 



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