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刻の断片(俊宇編)




 一番古い記憶は確か、幼稚園に上がる前の頃。
 彼は炎を見ていた。自分よりも背が高いガスレンジの青い炎。ゆらゆらとその身を揺るがせる炎に触れたくて、彼はガスレンジによじ登り、青い炎に手を翳した。
 その時の感触は覚えていない。数秒後に耳を貫いた母親の悲鳴の方が印象に残っている。抱きかかえられ、すぐに手に水をあてられた。ぴりっと刺激を感じて、痛い、と思ったことだけは覚えている。泣きもせず、平気そうな顔をしていたから心配するよりも呆れたと、母親は今でも時折口にする。
 振り返ってみれば、それは恐らく予兆であったのだと彼は――俊宇は思った。
 この腐った能力が開花する、予兆であったのだと。



「おい、止まれや」
 外を歩けば喧嘩ばかり売られた。このオレンジ色のド派手な頭髪のせいか、目つきが悪いせいか――。
 振り返るのも億劫だが、無視し続けていれば相手の憤りが増すだけだ。俊宇は仕方なくだるい身体を向けた。
「よう、三白眼。この間はよくも俺のダチをボコボコにしてくれたな」
 他校の学ランを身に纏った男達が手に持っているのは金属バット。辺りは人気のない裏道。
 ――っちゅうか。
 一人相手に五人がかりか。
「情けへん奴らやな」
「なんやと?!」
「怒鳴るなや、やかましい。用があるならさっさと言え」
 リーダーらしき男がにやりと笑む。バットのグリップを握り直して、男は「用はこれじゃ!」と叫び俊宇に襲い掛かってきた。
 振り下ろされるバットをかわし、後ろへさがる。息を吐く間もなく、次々とバットが迫ってきた。
 ――面倒臭い。
 ええ加減にせえ。
 バシッ――と乾いた音が路地に響く。俊宇は一人が振り下ろしたバットを片手で受け止めて、連中を睨みつけた。
 腹の底から漏れる低音で、一言放つ。
殺すで、、、
 一瞬、男達の動きが止まる。それを見逃さずに、眼前にいる男を蹴り上げてバットを奪った。
「来るなら来いや」
「っ……てめえ、」
 ざけんな!――そう叫んだ二、三人が俊宇に向かって突進してきた。一人をバットでかわし、もう一人を蹴りつけようとした時――かわした一人が後ろから俊宇を羽交い絞めにした。
「ッ……!」
「死ねぇッ!」
 バットが頭上に振り落とされる。
 ――あかん。
 待て。
 待てや、俺、、、、、
 防衛反応に制止は効かなかった。
 目の前が一瞬にして真っ赤に染まる。悲鳴が聞こえたのはその数秒後だった。
「ぎゃああああっ!!」 
 バットを振り下ろそうとした男の腕が燃えている、、、、、
 ――くそッ……!
 俊宇は抗って拘束していた腕から抜け出すと、学ランの上着を脱ぎ、燃えている男の腕に叩き付けた。何度か必死になって叩きつけると、次第に炎は消えた。
 茫然と佇んでいた男達の顔が徐々に歪んでゆく。眉を顰めて俊宇を見やる――まるで化け物でも見ているような顔で。
 俊宇は焦げた学ランを羽織ると、連中に背を向けた。
「もう――二度と俺に喧嘩売んな」
 そう言い捨てて、足早に路地を去った。
 ――くそっ……くそっ、くそっ!
 ええ加減にしろ! なんやっちゅうねん、一体……!
 一体、この能力は、、、、、、、、……!
 道端に転がっていた空き缶を乱暴に蹴りつける。
 眼に入ってきた夕日の色が、まるで炎のようで――気に喰わなかった。


 
「この、バカ俊宇!」
 帰宅するなり早々に怒鳴られて、俊宇は面を食らった。
 目の前には一番歳の近い姉の愛瞳が仁王立ちしている。
「な、なんやねん」
「なんややないわ、あんたまた火ぃ使うたやろ! 匂いで解るんやからね。あんなもん使うなていつもいうとるやろが」
「す――好きで使ったんとちゃうわ! っちゅうか大声出すな……っ」
 姉の身体を引っ張って、他の家族の耳に届かないところへ移動する。
「おかんに聞かれたらどないすんねん、」
「おかんも誰もおらんわ。みんな出かけとるって……。知られたくないことくらいわかっとるわ、あんたあたしのこと信用できへんの?」
 眉を顰める姉に向かって、俊宇は力なく首を横に振った。
「そうやないけど……」
「で? 何があったん?」
「……別に。喧嘩売られて、危なくなって……そしたら勝手に出たんや」
「あんたなあ、気ぃつけやっていうてるやろ。そんなん出さずに済むようにもっと強うなりや」
「わかっとるって、そんなやかましくいうなや!」
 苛ついて思わず声を荒げる。
 好きでこんな能力を手にしたわけじゃない。捨てられるのなら今すぐにでも捨てたいくらいだ。
 眼を逸らした愛瞳が、小さく息を漏らして呟いた。
「……心配してんねん」
 ――せやから。
「……わかっとる」
 それは、いつも本当に身に染みている。申し訳ないくらい。
 怒鳴ってすまん、と零して俊宇は自室に引っ込んだ。
 俊宇は六人姉弟の末っ子だが、長男ということで一人部屋を与えられている。ずっと相部屋を強要されている姉達からのブーイングは凄まじかったが、思春期に入った少年が四六時中姉達に囲まれて過ごすのはあまりにも酷だろうと、単身赴任中の父が家族に掛け合ってくれたらしい。
 一人部屋といっても父親が書斎に使っていた四畳半だから、ベッドと机を置いたらもうほとんど身動きがとれない。日当たりも悪く快適とは言い切れないが、家の中で一人になれるというだけで俊宇にとっては有り難かった。
 上着と鞄を乱暴に放り投げて、ベッドに横になる。天上の染みを睨みつけて、俊宇は溜息を吐いた。
 彼は火元なしに体から炎を出現させることができる、いわゆる発火能力者である。
 何故そんな能力が自分にあるのか、理由はわからない。
 わかっているのは、この能力の出現は感情に左右される傾向にあるということ、自分の身が危険に曝されたときに現れるということ、炎が出ると必ず右腕に『翼』という朱い文字が浮き出てくるということ――それぐらいである。
 この能力との付き合いは長い。物心ついた時にはもう扱えていた。小さい頃はなんとも思っていなかったが、あることがきっかけになって俊宇はこの能力を忌み嫌うようになった。
 ――くそ……。
 こんな能力、なくなればいい。
 何度そう思ったか知れない。でも能力は消えない。それどころか、強くなる一方だ。
 愛瞳以外の家族は俊宇の能力を知らない。知られたくなくて、必死になって隠してきた。騒がれても困るし、変人扱いされたら――辛い。
「……ちくしょう」
 人を傷つけるだけの能力は嫌いだ。そんなものは強さではないと思う。
 シャツの袖をめくる。先程の炎の放出の余韻がまだ残っているのか、うっすらと『翼』の字が肌に浮き出ていた。
 ――翼。
 この字に、この能力に、何の意味があるのか。
 誰か知っているなら教えて欲しい。
 誰か、誰か。
 ――俺は……。
 一体、どうすればええんや――。













090113