刻の断片(俊宇編)2
五年前――。
舞い散る火花を、俊宇は茫然と見上げていた。
消防車のサイレンと野次馬たちの吃驚の声がバックグラウンドでかかる。
青褪めた家族たちが燃え盛る我が家を見つめていた。
気味の悪い沈黙に支配された空気を切り裂くように、姉の一人が声を荒げた。
「あ、あたしが」
あたしがやったん――。
母親にそう告白した姉を、俊宇は茫然と見つめた。
口の中が、やけに乾いていた。
***
他校の不良少年たちに絡まれた翌日の放課後、俊宇はいつも通りの帰路を歩んでいた。
見慣れた景色を眺めながら今日の夕食の献立を考える。
俊宇の家は両親が共働きな上に六人姉弟の大所帯なので、母親の家事の負担を減らすために夕食作りは当番制となっている。長男でありながら末っ子である俊宇も、例外なく幼い頃からこの制度に参加させられていた。
始めたばかりの頃はろくなものが作れなかったが、中学一年の今ではそこら辺の新米主婦よりは上手く作れると自負している。ただ、自分で美味いと思っても姉達の口に合わなければ非難轟々は必至なので、俊宇は毎回胃の痛い思いをしていた。
――あんなんで彼氏とか普通におるから不思議や……。
姉達の暴言を思い出しつつ、俊宇は小さく嘆息した。
確かにみんな顔はそこそこいいし、服装もきちんとしているので見た目の印象はいいのだが、家の中での姉達を知る彼には、姉達と付き合っている男どもの気持ちがまったく理解できなかった。
「おーい。そこのド派手オレンジ頭の三白眼くん」
後ろから声をかけられて立ち止まる。
男の声だ。また喧嘩売りか――と俊宇は顔を顰めて振り返った。
「そう、君。――ん? なんやお前、まだ中一か。タメかと思っとった」
学年章を確認し、馴れ馴れしくそう言うと男は俊宇に近付いてきた。
愛想が良く、頬に縦一文字の傷がある。他に仲間は引き連れておらず、名門私立中学校の制服をだらしなく着こなしていた。
俊宇は自分よりも少し背の高い男を睨み上げた。
「なんや、お前」
「ごめんくださーい。どなたですか」
「桑○和夫か!」
「名乗る前からツッコまんといてくれるか」
しゃあないやん脊髄反射や、と言い返して俊宇は警戒を解いた。どうやら喧嘩を売りに来たわけではないらしい。
「俺の名前は攻児っちゅうねん。見ての通り超有名私立中学に通う三年生、つまり哀れな受験生。お前は?」
「……侯俊宇」
「俊宇くんか。ええ名前やな」
「なんやねん、お前。俺に何の用や」
尋ねると、攻児はにやっと笑んで俊宇の眼を見つめた。
「昨日、たまたま見てたんや。お前の喧嘩」
即座に嫌な予感を感じ取る。
俊宇は再び身構えるようにして彼を見返した。
「それでどうしても気になってな。お前、あの火どうやって出したんや?」
ぶちっ、と瞬間的に何かが切れた。
俊宇はまたしても脊髄反射で彼に殴りかかった――が、その拳は攻児の掌に受け止められてしまった。
――な……?
すぐさま拳を引く。
幼稚園の頃から今まで喧嘩三昧の毎日だった。その中で蓄積された経験が事実を教えてくれる。
――こいつ……。
強い……!
「勘違いすんな。純粋に興味があるだけや。あの時――火種を隠し持っとるようには見えんかったし、そんなクソ卑怯なことするような奴とは思えん。だとしたら超能力か、体質か」
「体質?」
引っかかったので思わず尋ねてしまった。
体から炎が出現する体質などあるものか。
「生まれもって備わっているもんやったらそう言うてもかまへんやろ。そうなんか?」
俊宇は黙って顔を逸らした。
一体、唐突になんだというのだ。彼は何かを知っているというのだろうか。
――まさか。
こいつも、同じ……?
「お前……も?」
「いや、俺は全然普通の人間やけど」
即答されて俊宇はがくりと項垂れた。
「なんやお前、ただの冷やかしか!」
「ちゃうって。言うたやろ、純粋に興味があるだけや」
「アホ、そんなん付きおうてる暇なんかないわ」
言い捨てて背中を向ける。待てって、と肩をつかまれた。
「なんやねん、」
「お前、苦しくないんか」
――え?
茫然と攻児を見上げる。
二つ年上の少年は、その時はじめて真剣な眼差しを見せた。
射るような鋭い瞳で俊宇を捕らえる。
「そないな力持ってて、苦しくないんか」
――なん……っ……!
俊宇は肩の上にある手を振り払い、怒鳴った。
「何が解んねん、お前に!」
背を向けて走り去る。
見慣れた景色をどんどん追い越し、自宅付近で立ち止まった。
吐く息が荒い。アスファルトの地面を睨みつけて、俊宇は唇を噛んだ。
――くそっ……!
何が解んねん、赤の他人に、一体何が……!
苛立ちを隠せぬまま、家の鍵を取り出すために学ランのポケットに手を突っ込んだ。金属質の鍵と、別の何かが指先に触れる。
取り出してみると、それは二つ折りに畳まれた紙片だった。こんなものをポケットに入れた覚えはない。
開いて中を見ると、そこには攻児の名前と連絡先が書いてあった。気が向いたら連絡してくれや――とメッセージが添えられている。
――いつの間にこんなもん……。
肩を掴んだときに忍ばせたのだろうか。侮れない奴だ。
俊宇は諦めたように嘆息して紙片をポケットに仕舞うと、自宅へを足を向けた。
***
――重症。
そうとしか言いようがない。
俊宇が去ったあとの道端で、攻児は頭を掻いた。
――中一のガキのするツラとちゃうがな。
人のことはまったく言えないのだが、それは棚に上げておく。
攻児は来た道を引き返すと、スラックスのポケットから携帯電話を取り出した。
「もしもし。俺です。昨日話したオレンジ頭のことですけど。――ええ、今さっきまで話して……いやあ、あかんですわ。手負いの狼みたいで。……えー、どうでしょうねえ。……ああ、はい。とりあえず力の方はほんまもんみたいです。奴自身、戸惑ってるように見えましたけど。……はあ。よろしゅう頼みます。え? ああ、名前は侯俊宇。中一です。…………はあ、そうですねえ」
立ち止まって空を見上げる。
赤い夕暮れの空。それは炎の色。
「……嫌いやないですよ。強そうやし」
攻児は俊宇の拳を受け止めた掌を見つめた。赤く腫れている上に若干の痺れを感じる。
たかが中学一年生のくせに相当の手練だ。
またしても自分のことは棚に上げて、攻児は笑った。
「え? いやあ、そんな……。……ええ。少し、楽しみですわ」
それじゃ、また連絡しますと言って通話を切った。両手をスラックスのポケットに突っ込んで歩き出す。
徐々に歓喜が体の内側に浸透してくる。こんなにわくわくするのは久しぶりだ。
――俊宇か。
おもろい奴がおるもんや。
やっぱり世の中、そう捨てたもんやない――そう思いながら、攻児は街を闊歩した。
090202