刻の断片(俊宇編4)
いつでも守っているつもりでいた。
この能力と男という己の性が、大切なひとたちを守る武器になっていた。
だがある日、確かな現実に気づいて愕然とする。
いつでも守っているつもりでいた。
だけど本当は、いつでも守られていたのだ。
その優しさに、その立ち振る舞いに。
そして、己の能力の意義を感覚的に知る。
――これは守る為の力。
せやったら、俺は――。
***
「しゅーんーうくーん、あーそびーましょー」
校門で待ち伏せしていたストーカーをガン無視して、俊宇は彼の横を通り過ぎていった。
ここのところのしつこさには嫌悪を通り越して感心するほどだ。しかしながら反応を返しても楽しい結果にはならないので、俊宇は相手にしないことにしている。
「待ってえな、ノーリアクションは芸人としてどうかと思うで」
――誰が芸人やボケナス。
反射的に心内でツッコミを返しつつ、俊宇は無視を続ける。
ここ数日、俊宇の後を付け回している少年――攻児は、しゃあないなあとぼやきつつ彼の隣りに並んだ。
「ところで俊宇君。今日は一つ質問があるんやけど」
「…………」
「ちょお真面目な話やから聞いてくれへん? この間会うた、君のお姉さんの話やねんけど」
――え?
思わず足が止まる。
俊宇は、真面目な話といいつつにやけっぱなしである攻児の顔を見上げた。
「あの時、君のお姉さん誰かに追われてたんか?」
「……お前に何の関係があんねん」
「今のところは何も。しっかし追われとるなんて尋常やないなあ、誰かの恨みでも買うとるん? それとも君のお姉さん、もしかしてヤンキーとかそういう」
「ちゃう」
「せやろな。この界隈じゃ見かけん顔やし、スレてるようには見えへんかった」
俊宇は眉を顰めた。
淡々と話を進める攻児の横顔を見やる。
――こいつ……。
にやけっぱなしのくせに、声はいつもと違う。
――真面目な話って、マジか。
「おい、なんの話やねん」
「せやから、ちょっと真面目な話。で、何に追われとるん? お姉さん」
情報を開示しなければ、こちらも事情は話さない――ということだろう。
俊宇はそう直感した。だが、姉の――愛瞳の事情を安易に他人に打ち明けていいものかと迷った。
だが同時に身体に走った悪い予感が俊宇の背を押し、その頑なな口を開かせた。
「……姉貴は、男に狙われ易いねん」
「――はい?」
「別にえらい別嬪でもあらへんのにな。昔っからや、変質者とか痴漢とか、被害に遭いやすいっちゅうか……。あの時も何か変なオッサンに追い掛け回されたらしくて」
男運が悪い――という一言では説明がつかない。愛瞳は何故か、正常の範疇から逸脱した男たちの餌食になり易いのだ。
姉は可愛い方だとは思うが特別に美人というわけでもないし、中学生離れしたスタイルを誇っているわけでもない。髪型や服装もちゃらちゃらと遊んでいる女とはかけ離れている。
だから俊宇には何故愛瞳が狙われ易いのか、まったく解らない。解らないが、本人に非があるわけでもないのに、姉が辛い思いをするのは我慢ならなかった。
小学校の頃は毎日一緒に登下校をし、愛瞳を守っていた。幸い――というのも心外だが――俊宇は炎を発生させることができるという特殊能力を所持していたため、凶器を翳した大人が相手でも楽に追い払うことができた。
だが姉が中学に上がると、一緒に登下校する回数が徐々に減っていった。本人からその理由を聞いたことはないが、部活や友達づきあい、それに周囲の目なども気にする年頃になったのだと、母が教えてくれた。
姉を襲う男達がどんなに性質の悪いものか、実際に見て知っている俊宇は心配だった。
何せあの姉が――いつも気丈に俊宇を叱り飛ばす愛瞳が、不安と恐怖で青くなり、目を潤ませて泣きそうな顔をするのだ。それでも意地でも泣かないところが愛瞳らしいのだが、俊宇はその顔を見る度に腹立たしさと辛さで胸が痛む想いを味わった。
姉が辛いと自分もこんなに辛いのだと、その時初めて知った。
「んー、それは不味いな」
俊宇の話を聞いて、攻児は頭を掻いた。
そして徐に携帯電話を取り出して電話をかけ始める。携帯を耳に当てながら、攻児は俊宇に向き直った。
「黙っててすまん、どういうことか解らんかったから。実は今さっき仲間から連絡が入って、お前のお姉さんが道端で男に連れ去られたらしい」
「っ……ハァ?!」
「この間誰かに追われとるの見て、なんかヤバイとこと繋がりがあったらあかん思うて、一応お姉さん見張ってたんや。場所は割れとるし、お姉さんがやばそうやったら救出するよう仲間に言ってある。お前も来るか」
「あっ……アホか! 当たり前やろ、さっさと案内しろやボケ!! ちゅうか解った時点で直ぐ言えやアホンダラ!!」
「よっしゃ。――もしもし、今から行く。それから――社長に連絡入れとけ」
怒鳴られても攻児は全く動じなかった。
通話を終えて携帯を切ると、こっちやと俊宇を脇道に案内する。路地の一角に無造作に停めてあったバイクに跨り、エンジンをかけた。
「……お前、免許」
「ええやん来年には取れるし。ほら」
一応ツッコミを入れてみたものの、もたもたしている暇はないと俊宇も解っていたので、素直に投げられたヘルメットを被り後部座席に乗った。
「飛ばすから掴れや。行くで」
言い終わる前にバイクが発進する。直ぐにトップスピードに乗った車体は、そのまま路地を突っ切って行った。
***
七つの星の宿命を――。
それを支援する星が――。
男はデスクの上で膝をつく。懐かしい記憶が溢れ、そのまま思考の波に埋もれてしまおうかと思い至った時――スーツの内ポケットに入っていた携帯電話が、その身を振動させた。
「どないした」
男一人しかいない部屋で、その低音が静かに響き渡る。
「……そうか。……いや、この件に関しては攻児に一任しとる。攻児の指示に従え。……おう、任せたで」
口元に笑みを湛え、男は通話を切った。
――おもろいこっちゃ。
当事者にとってはたまったものではないだろうから、面白がってはいけないのだろうが――男はつい、得体の知れない期待に胸を高鳴らせてしまう。
男は運命論者ではない。目に見えぬ力を、彼は信じない。己が眼に映るものだけが彼の全てであり、彼の世界である。
だがこの奇妙な糸の繋がりを表すのに、『運命』以外の言葉が他にあるだろうか。
男は考える。
占術、星見、宿命――。
昔、おぼろげに示唆された未来が今、ここに提示されているという事実。
「俺も『伝説』の歯車に組み込まれたっちゅうわけか」
恐らくは攻児も――あの少年と関わりを持ったものは、皆。
――やっぱりおもろいやないか。
男は深く腰掛けていた椅子から立ち上がると、後方にある窓へ足を向けた。
薄暗い部屋から見慣れた街並みを眺める。
攻児から炎を発生させることができる少年の話を聞いてから、昔に一度だけ聞いたお伽噺――男はそう受け取った――が脳内でリピート再生を繰り返している。
七つの星の宿命を持った者たちが――。
それを支援する星の一つに――。
伝説の――。
語られた内容ははっきりと覚えている。だが話の中身は非常にアバウトで、詳細を調査するヒントとなる語句はほんの僅かに過ぎない。
――だが既に賽は投げられた。
この一連の流れを運命とするならば、時期に答えも知れよう。
それまで精々祈ってやろうと、男は思った。
彼らが無理やり身を投げ込まれる、その運命という刻の流れが、激しい濁流であることを。
男やったら立ち向かわんとな。
波が激しければ激しいほどええ。
男とは常に荒波の中で生きとるんや。
勝てば進める。
負ければ死ぬ。
なあガキ。
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090611