刻の断片(俊宇編5)
力とは何か、宿命とは何か。
そんなものは糞喰らえだと、叫べないのは何故か。
嘆いてばかりでは始まらない。
そんなことは解っている。
解っているから、だから。
規制速度を大幅に超えるスピードを出して爆走していたバイクが急停止する。後部座席に乗っていた俊宇は、運転していた攻児の背中に顔をぶつけた。
「っ急に止まんなアホ、」
「ついたで。ここや」
バイクから降りた二人は、眼前に聳え立つ建物を見上げた。
建物を囲む石塀、その内側に伸びる朱色の鳥居。
「……神社やんけ」
「変やな、中に人の気配がない。無人っちゅうことはないと思うんやけど」
「攻児さん!」
塀の影に隠れていたらしい少年が数人、攻児の元へやってきた。
「男と女の子は中です。どないしますか」
「中? 境内か」
「けいだい……? 建物の中っす。賽銭箱通り過ぎて、戸を引いて中へ」
「そいつ、白色の着物に水色の袴はいとったか?」
「はかま……? 普通の格好でしたけど。黒いコート着てはりましたわ」
ふうん、と唸って攻児は俊宇に眼を向けた。
「神社の関係者やないみたいや」
「そんなんどうでもええわ。俺は行くで」
「ああ、俺も行く。お前らは待機や。――俊宇」
走り出そうとした俊宇の肩を、攻児が掴んだ。
「この時間帯で神社の中がカラいうのはおかしい」
「あ?」
「けど入った男は神社関係者やない。これがどういうことかわかるか」
――は?
俊宇は一瞬逡巡したが、時間が惜しいので尋ね返した。
「どういうことやねん」
「つまり男はどうにかして神社の中におった人間を排除したっちゅうことや。……変質者がそこまでやると思うか?」
――何。
何やて……?
犯人は変質者じゃないというのか?
だとしたら――何だ。
「そんなん、行ってみれば解るやろ」
「せやな」
顔を見合した二人は、それを合図に走り出した。
門を抜けて鳥居を潜る。
ぐにゃり。
――え?
鳥居の内側に足を踏み入れた途端、地面が揺れた――ような気がした。
俊宇は隣りを走る攻児を見やるが、彼は何も感じていないようだった。気のせいか、と思い前を向く。
境内は不気味なまでに静かだった。攻児の言う通り、確かに人の気配がない。
「行くで」
賽銭箱を通り過ぎて、閉じられた戸を開け放つ。
正面にある祭壇の前に、愛瞳が横たわっていた。
「姉ちゃん!」
俊宇は側に駆け寄り、愛瞳を抱き起こした。
「姉ちゃん、大丈夫か。姉ちゃん」
「……っん……、俊……宇?」
掠れた声を放ちながら、愛瞳の眼が開く。
俊宇はホッと息を吐いた。
「大丈夫か? 何や、変なことされへんかったか」
「え……? あんた……何、言うてんの……」
「俊宇」
鋭い声で攻児が呼ぶ。
俊宇は顔を上げて、攻児の視線の先を見た。
黒いコートに、黒い帽子、そしてサングラス――全身黒づくめの男が、そこにいた。
――こいつか。
男を睨み上げる。
黒づくめは眉一つ動かさずに、子供たちを見下ろした。
「お前が姉貴を攫ったんか」
打たれる前に先手を打つ。待つより攻めろと、己の体が訴えているような気がした。
男は答えずに、一歩前に出た。
ぞわっ――全身に何かが走る。
血がざわざわと騒いでいる。首筋に冷や汗が流れた。
――なんや。
男から高圧的な何かを感じる。オーラとでもいうのだろうか。
――俺は。
それに、ビビッとるっちゅうんか。
――アホ抜かせ。
「っおい! 答えんかい!」
「それは餌だ」
不意に男が口を開いた。
「しかし――どうも合う気がしないな。むしろ反発しているような気がする」
「何の話や」
「力の話だ。お前も持っているだろう」
――お前も。
俊宇は眼を瞠った。
「お前っ……?!」
男は片手を翳すと、小声で何かの呪文を唱え始めた。
「朱雀玄武白虎勾陳帝后文王三台玉女青龍」
単語に合わせ、四縦五横に手刀で空を切る。声が途切れた瞬間、男の手から青白い火花のようなものが弾けた。
――あかん。
動物的な本能で危機を察した俊宇は、次の瞬間には声を張り上げていた。
「逃げろっ!!」
叫び声とほぼ同時に、轟音が響き渡った。
愛瞳を抱えて身を引いた俊宇は、爆風によって祭壇に背中を叩きつけられた。咳き込みながら煙が舞う室内を見やる。離れたところで攻児がしゃがみ込んでいるのが見えた。怪我はしていないようだ。
再び前を見ると、男と自分たちの間の床にぽっかりと丸い穴が開いていた。
――今ので……?
まるで落雷のような衝撃。
腕の中にいた愛瞳がぎゅっと俊宇の制服を掴んだ。その手が震えているのに気づいて、俊宇は姉の肩を強く抱いた。
「おーい、おっさん。見ず知らずの神社に穴空けてええんか」
攻児が場に不似合いな明るい声を発する。
「問題ない、結界を張っている。気づかなかったか?」
――けっかい?
「鳥居ん中からか」
あの、ぐにゃりと空間が歪んだような感覚。あれは結界の中に侵入した所為だったのか。
俊宇が問うと男はそうだと頷いた。
「さすがに感覚くらいは掴めるようだな」
「ちゅうかケッカイってなんやねん」
男が一瞬止まる。一つ溜息をつくと、やれやれというように帽子に手を当てた。
「こちらの人間ではないのだな。……まあ、発火能力者などこちらの世界でも聞いたことはないが」
――な……っ!
「っなんで知ってんねん! お前なんやねんな!」
「お前は目立っていたからな。西の術者の間では専らの噂だ」
「あんたは東の人間やろ」
攻児がツッコミを入れる。男の言葉のイントネーションは西のものではなかった。
「育ちはな。先祖はこっちだ。それより――境内には結界を張ってある。いくら暴れても平気だ。全ては結果内での出来事――実際の神社には何一つ傷はつかない。術者である私が瀕死に陥らない限りはな」
男は口端を上げると、再び手を翳した。
俊宇は反射的に立ち上がる。
「姉ちゃん。攻児と一緒に逃げろ」
「え?」
「ええから。攻児!」
俊宇は攻児に向けて愛瞳の背を押した。
察した攻児が愛瞳の元に走り、素早く手を引く。
「無駄だ」
男が小さく呟いた。指先から青白い火花が飛び散る。
「やかましいわ。無駄かどうか、見てからほざけ!」
俊宇は男に掌を向けた。
いくら暴れても平気だ――という男の言葉が、俊宇に安心感を与えていた。
――コントロール効かんでも平気やろ。
あの男は普通の人間じゃない。炎を浴びても死にはしないはずだ。
だったら――。
「喰らえっ……!」
ゴオオオオッ――。
轟音と共に、灼熱の炎が掌から溢れ出た。
「っ!」
燃え盛る炎が男に襲いかかる。
男は口の中で何かの呪文を唱えると、青白いオーラで壁のようなものを作った。
だが――炎の勢いが、壁の強度を圧倒的に上回っていた。
「何……っ?!」
男の顔が初めて歪んだ。
ガシャン、とガラスが割れるような音をたてて壁が壊れる。
男は舌を打って、両手を組み次の呪文を口にした。
「ナマクシチリヤジビキャナンサルバタタギャナンアン」
男の周囲を、炎が避けていく。まるで男に近付くのを炎が嫌がっているようだった。
「ビラジビラジマカシャキャラバシリサタサタサラテイサラテイタライタライビダマニサンバンジャニタラマチシッタギレイ」
「っ……!」
両の手がずんと重くなる。
俊宇は顔を顰めた。
防がれている――どころか、徐々に押し返されている。
――負けるかっ!
「タランソワカ」
男の詠唱が途切れた。
俊宇はその隙を突いて、放出している炎を倍増させた。
「っでやああああっ!!」
そんなことができるのか――などと頭が考えるよりも先に、体が動いた。
膨れ上がった炎が部屋の端に避難していた男に襲い掛かる。退路を失った男は、迷った挙句――呪文を用いて後ろの壁を破壊し、外への道を作った。
男を追って炎を向けようとすると――男が言った。
「体のどこかに『字』はあるか」
――それも。
知っているのか。
「っ……だったらなんやねん!」
「その字は? 何の字だ」
「お前に関係あるんか!」
「ある。だから聞いている」
なんやと。
俊宇は男を睨んだ。
「『翼』や。俺の字は」
「……そうか」
やはり違うか。
男はつまらなそうにそう続けると、俊宇に背を向けた。
「っ、おい!」
「同じ宿命の盤の上だ、また会うこともあるかもしれん。その時も――恐らく、こうして闘うことになるだろうがな」
「なんやて? お前、何者やねん! 字とか力とか――何か知っとんのか?!」
「事情はお前の仲間に教えてもらえ。こちらの業界に一人いるから、奴が適任だろう。……じゃあな」
男は破壊した壁から外に出た。あっという間に姿が見えなくなる。
俊宇は茫然と壊れた壁を見つめた。
――仲間?
俺と同じような奴がおるんか……?
「俊宇!」
姉の声が耳を貫いた。
なんや、まだ逃げてなかったんか――と振り返る。
俊宇はそこで、初めて現状を認識した。
「げっ!」
神社が――木の柱が、床が、炎に包まれていた。
燃えている。
「こんの馬鹿っ! さっさとそれ止めんかいっ!」
――それ?
何のことか――と見下ろすと、己の両手が炎に包まれていた。うわあ、と叫んで手を振る。だが熱くないことに気づいて、俊宇は体を動かすのを止めた。
「俺……が出したやつ、か」
まるで俊宇に懐くように炎が絡み付いてくる。恐怖は一切感じなかった。
「あ……ああ、もうええねん。もう――」
止めないと、神社が燃え尽きてしまう。
止めないと――。
――え?
いつもなら、止まれと命じれば止まるのに。
いくら命じても――止まらない。
炎が、止まらない。
両の掌から溢れ出て――止まらない……!
「俊宇」
愛瞳が泣きそうな声を放った。
俊宇は息を呑んだ。
***
――意外だな。
あの発火能力者――大した力だ。
敵に回ったら厄介だろうと、神社から逃げた黒づくめの男は思った。
結界の外は相変わらずの静寂を保っている。神社関係者はあらかじめ人避けの札を貼って追い出していたので、今現在境内にいる人間はあの子供たちだけだ。
男は塀に寄りかかると、腕を組んだ。
――翼ということは、『翼宿』か。
ということは南方朱雀七星宿だ。近いが、男が求めているものではない。
だがこれで――男の知りうる限りではあるが――朱雀の者が二人、この現代に降臨していることが明らかになった。一人は今の『翼』の字を持つ発火能力者。もう一人はこちらの業界に所属している。
名門だった――陰陽師の跡取り。
――いや、現当主か。
何年か前に起きた某陰陽師一族の謎の集団死は、業界内でもスキャンダルとして様々な噂が飛び交った。
同じ業界内に身を置く男も――否、同業者といっても過言ではない――その生き残った陰陽師にはとても興味があった。
いつか対決することになるのなら、それはそれで面白い。
できれば互いに、若い内に――全盛期に闘うことができたらいい。
――だが……。
「朱雀と青龍の巫女が同時に降臨することはありえんか」
ありえるとしたら、それは最高に愉しいことになるのだがな――と。
体に『箕』の字を持つ男は、小さく笑った。
090713