Wheel of Fortune 〜運命の輪〜




 必然の妙、偶然の罠
 全ての糸が輪に絡まるその様を
 人は、運命と呼ぶ






Wheel of Fortune 〜運命の輪〜






 うわ、と少年は思わず声をあげた。
 アルバイト先からの帰り道で、ふと見上げた夜空に沢山の星が輝いていたからだ。
 東京でこんな星空が見れるなんて。少年――候俊宇は茫然と瞬いた。
 高校入学と共に上京してきて、早くも三ヶ月が経った。学校生活にもアルバイトにも慣れ、俊宇は周囲の概ねの予想を裏切って集団生活というものに見事に溶け込んでいた。
 生まれた時から両親と姉五人という大家族に囲まれて生きてきた俊宇は、取っ付き難そうな風貌とは裏腹に高いコミュニケーション能力を保持している。決して地味な存在ではないので浮いていることは確かだが、持ち前の求心力で人を惹きつけ続ける少年は常に、孤独とは縁遠い場所にいた。
 春から一緒に暮らしている親友との関係も良好で、今のところ生活に関していえば問題は何もない。平穏すぎて些か物足りないほどである。
 ――こっち来てから、誰も喧嘩売って来ぃへんしなあ……。
 中学時代は乱闘騒ぎなど日常茶飯事だった。各地の不良や暴走族、時には暴力団の構成員すら敵に回して、俊宇が率いる少年グループ『至t山』は毎日大暴れしていた。 
 ところが東京に来てからは、そういった連中に一切喧嘩を売られなくなった。俊宇が通っている高校にも不良らしき生徒は何名かいるが、いずれも積極的に騒ぎを起こすような真似はしなかった。東京の人間は冷淡かつ怠惰なのかと、俊宇は若干残念に思ったほどだ。
 ――っちゅうか、そんな連中はともかく……。
 日本一人口密度の高い都道府県――首都なのだから、何人か釣れると思ったのに。
 俊宇は常人には持ち得ない能力を保有していた。それは『発火能力』だ。何の火種もないところから自由に炎を生み出すことができる。そしてその能力が発動している時――もしくは前後――必ず右腕に紅く『翼』という文字が浮かび上がるのだった。
 何故己がそんな能力を保有しているのか。何故『翼』という字が浮かび上がってくるのか。俊宇は何一つ知らなかった。
 上京したのは中学時代に世話になった恩師が『行け』と言ったからだが、俊宇も大都会で自分と同種の人間、あるいは能力関係の事情に精通している人間に出会えることを期待してやってきた。だがそういった人種からの接触は今のところ皆無である。
 ――そらまあ確かに、こんなファンタジーな人間が仰山おるわけないやろうけど。
 いたらいたで世の中大変だろう、と俊宇はぼんやり思った。
 赤いリストバンドをつけた右腕に手を添える。東京に出てきてから勝手に『翼』の字が現れることが多くなってきているので、外出する時はリストバンドをつけるようにしていた。
 ――……いつまでこのままなんやろ。
 いつまで何も知らない状態で、この能力を保有し続けなければならないのか。
 この力に意味があるのなら知りたい。
 どんな些細なことでも構わない。どうにか現状を打破したい。このまま停滞しているだけなのは嫌だ――。
「え?」
 ひゅっ、と何かが耳元を通り過ぎて行った。
 何かと思い振り向くが、辺りを見回しても変わったものは何も確認できなかった。
 ――なんや……?
 続く道には何も見当たらない。人通りすらない。それなのに何故か強烈な違和感が俊宇を襲う。
 ――……気味が悪い。
 内蔵が圧迫されているような、妙な感覚を覚える。
 何も見えないのに、何かいる。
 そんな気がした時――暗い夜道に一瞬、光りが差した。
「っ……?!」
 飛び出してきたのは、一枚の紙切れだった。
 白地に赤で星のマークが描かれている。宙に浮かんだそれは幾つかの火花と閃光を放ち、夜道に潜んでいたものの正体を炙り出した。
 ――なっ……?
 紙切れの下で、黒いスライム状のものが蠢いている。
 どうやら紙切れが放つ閃光に動きを制限されているらしい。黒い謎の物体は束縛から抜け出そうと、必死にもがいているように見えた。
 だが抵抗も虚しく――黒い物体は閃光に包み込まれると、四散して消えた。
 役目を終えたらしい紙切れがひらりと地面に落ちる。
 再び静寂が訪れた道端で、俊宇は呆然とその紙切れを見つめた。
 ――な……なんやこれ……。
 なんちゅうファンタジーな……いや、これ現実か? 現実なんか? 頬っぺた捻ってみるか? ……痛い。ありえへん。
「あ」
 不意に、路上に声が響いた。
 振り返ると、そこにはラフな格好をした男が一人立っていた。前髪で顔半分が覆われていて、何故か上着やジーンズのあちらこちらが裂けている。
 不審者丸出しという風体の男は誤魔化すように笑みを作ると、俊宇を通り過ぎて、落ちていた紙切れを拾った。
 ――え?
 そして俊宇は、信じられないものをそこで見た。
 男が履いているジーンズの、裂けている部分の一つ――右膝。
 隙間から覗く肌に生える紅い文字――『井』。
「っ……! あ、あんた」
「あ――あの、今見たことは多分、幻覚とかそういう」
「ちゃうわ! そんなことどうでもええねん、ちゅうかあんた、その字!」
「え?」
「その紅い字や! 俺もあんねん、ほら!」
 俊宇は男の眼前に右腕を突き出し、つけていたリストバンドを外した。
 紅く光る、『翼』の文字。
 男の文字と字は違うが、字体も色もサイズもよく似ている。
「字ぃちゃうけどこれ、同じもんやろ?! 俺、ずっとこれに振り回されとってて――ああええわそんなん、それよりあんた、何か知っとったら教えてくれや! 何も知らんねん、俺」
 男は驚いた様子で『翼』の字を見つめ、そのあと俊宇を見やった。
「何も……?」
「せや、」
「その……朱雀や、四神のことも?」
「は? すざ……なん?」
 尋ねると男は腕を組んで、「そうか」と呟いた。
「結界を張っていたのに人がいるからおかしいとは思っていたけど……そうか、能力者だったのか。でも何も知らないということは――こっちの業界の人間ではないんだな」
 俊宇には意味の解らない独り言が続く。
 男は顔を上げると、俊宇を見た。
「説明することはできるよ。俺と君は、近い仲間みたいだから」
「ほ、ほんまに?」
「ああ」
 男が頷いた瞬間、俊宇は両手でガッツポーズを決めて「っよっしゃあーっ!!」と叫んだ。
「あーっもう長かった! ほんま長かった! ようやっと解る日が来たあーっ、ああもうめっちゃ嬉しいわ」
「そ――そんなに嬉しいんだ……?」
「当たり前やろ! もう、えっらいガキの頃から振り回されてきたんやから! 宴会開いて酒盛りしたいくらいや!」
「そう……。ああ、話長くなるから、どこかに入らないか? その……喫茶店かどこかに」
 男があえて「居酒屋」と口にしなかったのは、俊宇が思いっきり学生服姿だったからだろう。
 俊宇は頷き、男を連れ添って意気揚々と近くにあったファーストフード店に入った。
 ドリンクを注文し着席すると、男は「井宿」と名乗った。それから俊宇に紙とペンを要求し、解り易いように『全て』を説明してくれた。
 そして俊宇はテーブルに突っ伏した。
 彼は全身でこう感じていた。
 ――き。
 聞かへんかったら良かった…………。
 ハイだったテンションが、想定外にも程があるほどのファンタジーな話を聞かされて、一気にローへと突き落とされる。
 ――意味解らん……何やそのアホみたいな……いやアホやろ……アホすぎるやろ……。
 常人には信じがたい能力を保持しているくせに、超常現象の類を全く信じていない俊宇には受け止め難い話だった。
「……あの……大丈夫……?」
 気遣った声が頭上に落ちてくる。
 俊宇は緩々と上体を起こすと、テーブルに広がったノートに書かれてある綺麗な文字を見つめ、井宿の説明を反芻し始めた。
「なんやっけ……俺が『翼宿』で、あんたが『井宿』か」
「ああ」
「んで、あと五人仲間がおって……それが朱雀七星士っちゅうやつで、」
「うん」
「いつか異世界から来る巫女を守るために生まれた、と。んで字はその朱雀七星っちゅうやつの証やと」
「そうだね」
「一つ聞いてええか?」
「何かな」
「……あんたその話信じとるんか?」
 自分と似たような人間があと五人いるとか、そんな話は別にどうでもいいが――朱雀七星士? 四神? 巫女? 異世界?
 ――異世界って。
 ありえへんやろ!!
 やっぱり聞かなければ良かったと俊宇は思った。
 長年の謎がこれで解けると思ったのに、蓋を開けてみたらこれだ。ファンタジーにも程がある。これは何だ、漫画か映画かゲームか小説かそれともムーか? アトランティスで戦った前世の仲間を募集します、と果てしなく同レベルではないか。
「そうだな……俺は陰陽師の家に生まれたから、四神とかそういうものと近いところにいたし、家にも代々四神伝説の話は伝わっていたから……。でも俺も信じてはいなかったよ」
「せやろ?! 信じられるか、そないな話」
「でも、君に会ってしまったから」
 ――へ?
「実際に仲間がいるって解ったから……信じざるを得ない、かな」
 それは確かに――そうなのだが。
 俊宇は再びがっくりと項垂れた。
 ――ちゅうか……。
「あんた……おんみょーじって、あの映画の」
「ああ、あれと一緒にされても困るんだけど……いや、一緒か。先祖は近いし」
「さっきのあれも、あんたか。あの紙切れ使うたやつ」
「あれは御札だよ。札を媒介にして攻撃したり防御したりする術は陰陽道で広く使われていて……あれもその一種だ」
「何倒してたん?」
「なんていうのかな……人の心の膿というか、悪いモノが集まるとああいう形態になって悪さをすることがあるんだ。依頼があって駆除していた」
「なんやそれ……いや、依頼って?」
「拝み屋っていえば解るかな? 要はそういった一般の人にはどうにもできない怪異や現象の元になっているものを祓う仕事をしているんだ。代々続く家業で……普段は大学に通っているんだけど。君は……高校生?」
 おう、と頷いて俊宇はコーラを啜った。
「春に大阪から出てきたんや。この能力が何なんか、解ったら万々歳やと思っとったんやけど……まさかこないな話やったとはなあ……」
「……俺の能力は、代々受け継いできた陰陽師としての能力だ。君の能力は?」
「ああ……実演した方が早いんやろうけど、ここやと無理やなあ。俺の能力は火や。何や知らんけど、好きなように炎を生み出せんねん。呪文も道具も何もいらん、火出すって考えるだけで一発や。ガキん頃それで家燃やしてもうたこともある」 
「あ――君か。関西に出没した発火能力者って」
「は?!」
「その、こっちの業界――術者の世界って言えばいいかな。その世界で話題に昇っていたから。西に凄い発火能力者がいるって……君のことだったんだな」
 そういえば、前にも誰かにそんなことを言われたような気がする。
 西の術者の間では有名だ、と。
「ちゅうか……日本にそんなにおるん? おんみょーじとか」
「神道の他に、仏教にもそれらしい人はいるよ。キリスト教にだってエクソシストがいるだろう? 祓う力がある人間は総じて術者だ。君も広義ではその範疇に入るよ」
「マジで? ちゅうか……なら、そん中に残りの仲間もおるんちゃうん?」
「いや……もし体に字を持つ術者が誕生したら、業界に知れ渡る筈だ。勿論、隠している可能性もあるんだけど……ただ、俺が井宿だということは業界の人間には知られている筈だから、もしこっちの人間だったら本人からでも家からでも何らかの接触があっていいと思うんだ。でも今のところ、そういったことはないから……。君も業界とは無縁なんだし、残りの仲間も一般の人なんじゃないかな」
「そないなこというたって……残り日本中を探せってか? みんながみんな東京におるわけやないんやろうし」
「いや――それはどうかな」
 ミルク入りのコーヒーを一口啜って、井宿は言った。
「仲間がいるなら、きっとこの東京に集まってくる筈だ。多分、同じ仲間の気配か、巫女の気配に惹きつけられて」
「そ――そない都合のええ話があるかい、」
「でも君は春に大阪から上京してきたばかりなんだろう」
 ――あ。
「そして俺に出会った。……都合のいい話だけど、俺と君は同じ方角、南方の七星――つまり仲間という繋がりで結ばれている。だから会えたんだと思う」
 幻狼、東京へ行け。
 そう言ったのは恩師だった。
 ――まさか……何か知っとって……。いや、考えすぎか。
「せやったら……こっちにおったら、いずれ残りの仲間にも会えるっちゅうことか」
「恐らくは。……でも、仲間が集まるよりも先に巫女が降臨するんじゃないかな。伝説では確か、巫女が自ら七星士を探す旅に出る、とあった筈だから……」
「その……巫女って、いつ来るんや?」
「解らない」
「はい?」
「明日かもしれないし、十年後かもしれない。……俺は意識して先読みは出来ないから……あの人は宿曜動に精通しているから解るかな……いや無理か。とにかく、巫女の降臨について確かなことは解らないんだ。けれど……同じ南方の字を持った人間がこうして二人揃ったということは、俺たちが生きている間に必ず朱雀の巫女は降臨してくると思う」
「マジでか……。ちゅうか何のために来るんやっけ、そいつ」
「願いを叶えるために」
 ――願い?
「伝説では、巫女は七星士を集めて儀式を行い、神獣を召喚し三つの願いを叶える――といっている。神獣というのはこの場合、朱雀のことだ。朱雀は巫女の願いを三つ叶えてくれる……らしい」
「ドラゴ○ボールか」
「さあ……。いずれにしても、巫女が降臨しなければ何も始まらない。それまで待つしかないと思う」
 俊宇はテーブルに頬杖をついた。
 ――待つ……待つ、か。
 もう充分に待った。それなのに――更に待たなければならないのか。
 この危険極まりない能力を携えて。
 ――……いつ暴走するかも知れんのに。
 大体、守るといっても一体何から守るというのだろう。さっきのような化け物か? それならまだマシかもしれないが――。
「俺は生まれた家がそういう家だったから、伝説とか能力とかの話には慣れているけど……君みたいに普通の家庭で育った人には、いろいろ受け入れ難いところがあると思う。俺の知っている範囲でしか答えられないけど、なるべく情報は提供するから……気になることがあるならいつでも聞いてくれ」
 慰めるように優しい声音で井宿が言った。
 悪い人間ではないと思う。あくまで直感でしかないが、この男のことは信用できる。
「ああ……助かるわ。すまん、おおきに。連絡先……俺もメアドとケー番教えとくわ。赤外線使える?」
「え。えーと。……ああ、使える」
 携帯電話をつき合わせて連絡先を交換する。
 ――『井宿』で『ちちり』、と。
「あー、そういえばあんた……っと、すまん電話きた」
 バイブレーションで着信が入ったので出ると、相手は親友で同居人の攻児からだった。
「もしもし。どないした?」
『ああ、お前もうバイト終わったん?』
「おう」
『お疲れ。晩飯どないする? 某社長様がなんでも奢ったるからこいや〜いうてんやけど。行くか?』
「え、お前断れんの? 凄いな」
『いや無理ですけど。誘われた時点で行き確定ですけど。せやったら、お前そのまま事務所こいや。俺も行くから。あとどれくらいかかる?』
「事務所まで? せやなあ……こっからやと3、40分くらいか」
『了解。じゃ、行くて連絡入れとくわ』
「おう。よろしゅう」
 ――社長かあ……。
 不敵に微笑する恩師の顔を思い浮かべる。能力や字といった俊宇の事情を把握しているので、これから会うなら今回のことを報告するのに調度いいが――果たしてあの人はどんな反応をするだろうか。俊宇には想像もつかない。
「悪い、用事できたから帰るわ。今日はおおきに」
「いや……、何か気になることがあったらいつでも連絡してくれ。相談に乗るよ」
 そう言って井宿は柔らかく笑った。
 ――お。
 前髪で顔半分が隠れているから解りづらいが――そんな顔もできるのか。
 ――……変な奴やな。
 物腰は柔らかいけれど、何かが重い。空気が? 影が、雰囲気が?
 拭えない底知れぬ闇。
 そんなイメージが頭に浮かぶ。何故かは解らない。
 ――能力?
 あの力の所為か?
「……? あの、」
「え? ああ、いや、別に。じゃあ……何かあったら連絡させて貰うわ」
 俊宇はテーブルに広がっていたノートとペンを鞄に仕舞うと、席から立ち上がった。
「あ。今更やけど――その格好でうろうろせん方がええで。職質かけられてまうから。じゃあな」 
 恐らく化け物との戦闘中に作ったのであろう服の裂け目に対しコメントしたあと、俊宇は店を出た。
 携帯電話を取り出して時刻を確認する。目的地までの道のりを計算しつつ、空を見上げた。
 輝く満天の星空。
 四神――二十八宿――星。
「……『翼宿』か」
 また名前が増えてしもうたな、と俊宇は思った。

 

    
   
  
 













 091208