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Wheel of Fortune ~運命の輪~




 星の下に繋がる糸。
 そして運命の輪が回り始める。
 軋んだ歯車がどのような未来を導くか。
 答えは誰も知らない。
 ――恐らく。
 帰路の途中で足を止める。数瞬迷ったが、井宿は目的地を自宅から近所の寺へと変えた。
 今日、拝み屋の仕事中に驚くべき人物と遭遇した。
 南方朱雀七星宿の星の一つ――翼宿。
 井宿の生家に伝わる『四神伝説』に纏わる仲間の一人だ。
 自分も同じく伝説の渦中に存在する人間でありながら、このようなタイミングで仲間に出会うとは思ってもみなかった。
 ――伝説が確かなものであっても、動き出すのは巫女が降臨してからだと思っていたが……。
 この出会いも歯車の内のひとつだとしたら――彼との遭遇は巫女が降臨する前に行うべき下準備だとでもいうのだろうか。
 ならばもう一つ波乱があってもおかしくない。
 そしてその波乱が近日のものであれば――ある程度は『読める』筈だ。
 井宿は近所に在る古びた寺に到着すると、裏口から進入し戸を叩いた。返答がないのでそのまま戸を引き、住居部分へと入る。今年の春にマンションに引っ越すまで長い間世話になっていたから勝手は知っていた。
「影喘さん」
 居間へ赴くと、この寺の主が着流し姿でソファに踏ん反り返っていた。タールの高い煙草を咥えながら競馬新聞を読んでいる。
「……お前か。何の用だ」
 寺の主――住職である影喘は、唐突な訪問者を一瞥して言った。
「今日、南方朱雀七星宿の星の一つに出会いました」
「どれだ」
(つばさ)……『翼宿』です」
「……関西弁のガキか?」
 ――やっぱり……。
 影喘は知っていたのだ。
 この寺は真言宗、密教の系列だ。密教坊主として修行を積んだ影喘は密教占星術や宿陽動と呼ばれる占いに精通している。
 少し先の未来なら、読むことができるのだ。
「勘違いするな。俺は先に情報を得ていただけだ」
「え? 占ったわけではないのですか……?」
「仕事でもないのに何でそんな真似をしなけりゃならないんだ。私事で先は読まねえ」
 影喘は読んでいた新聞を畳むと、床に放り投げた。
「それに二十八宿に関しては吉凶しか読めん。四神の影響がでか過ぎる。だいたい宿陽動だって二十八宿が元だ、基盤となるものの運勢は読みづらい。……お前の時も読めなかっただろ」
 不意を突かれて、井宿は動揺した。
 前髪で隠した左眼は見えていない。これは『あの時』の傷。『あの時』の過ちの証――。
 影喘も井宿の一族も誰も読めなかった、五年前の血と殺戮の光景。
「……では、情報とは?」
「俺が明かすと思うのか?」
 ハッと笑って影喘は煙草を灰皿に押し付けた。
「いいか芳准、よく聞け。伝説に関することで俺からお前に伝えることは何もない。どんな情報が入ってきてもお前には伝えない。何故だかわかるか」
「……いえ」
「意味がないからだ。どんな情報も事実には頭を垂れる。そして真実とは事実を元にして個々人が作り上げていくものだ。つまり――お前がお前である限りはなるようにしかならないんだから、情報を仕入れたところで無駄だということだ。特に『四神伝説』に関するものはな」
「というと?」
「四神が味方とは限らないということだ。嘘を吐くのは人間だけじゃない。……運命だって真実だって、嘘は吐くんだぜ」
 その時点で先読みの意義はなくなる、だから無駄だと影喘は続けた。
 ――運命や真実が、嘘を……。
 まやかしを見せるというのか。その者の未来を操作する為に。
「運命は……我々に何をさせたいのでしょうか」
 四神の召喚――それは果たして誰に必要な未来なのだ?
「さあな。どうしても先が知りたいなら占星術を使わない占い師に頼め」
「いえ、止めておきます。……貴方より腕の良い占い師など知りませんので」
 苦笑を交えて返す。影喘は興味がなさそうに「あっそう」と返してソファに寝転んだ。
「そういえば、害虫駆除(、、、、)の依頼は完遂したのか」
「え? ああ……はい、今日で概ねは」
 井宿への依頼は全てこの寺の主である影喘が管理している。それは井宿が生まれ育った家――神社が建立された千年以上前から続いている、神社と寺の関係である。拝み屋を営む神社は寺を隠れ蓑とすることで、時代によって為政者に排斥されていた寺は神社に庇護され仕えることで長い間互いの存続を維持してきた。
 五年前の事件で神社は取り壊されたが、陰陽師の血と能力を継いだ井宿が拝み屋を続けているので影喘も依頼の窓口係を続けていた。
「ああいうのが一番厄介だ。突発的に増殖するし、意志を持たないからやることに限度がない」
「……人が()とす膿には際限がありませんから」
「そうだ。あれにとっては仲間が餌だ。なら最も増殖し易い方法は?」
 思案しなくても回答は出る。伊達に十二の頃から拝み屋業に関わっているわけではない。
「強い依代(よりしろ)に寄生すること――主に術者の体に」
「なら――」
 やることは解るな、と影喘は続けた。
 ――やること。
「……そうですね」
 井宿は目を伏せて答えた。
 右膝の字が、かすかに疼くのを感じた。


  
 ***



 脂の乗った肉が焼ける香ばしい匂いが漂う焼肉店の店内で、いや、そんな反応されてもと困るより先に、俊宇は純粋に驚いた。
 向かい側に座っていた某社長様――もとい、俊宇に上京を命じた恩師が無言のまま腹を抱えて爆笑を堪えていたからだ。
 ――こないな社長初めて見た……。
 上物のスーツを着こなし、常に冷静沈着かつクールに振舞う恩師の――魄狼の印象が強かった為に、俊宇には奇異な光景に見えた。
 だが魄狼の両サイドを固めていた二人の部下は可笑しくて堪らないといった風情の上司を呆れ顔で見やり、俊宇の隣りに座っていた親友の攻児は苦笑を浮かべていた。
「お前……お前なあ、それはおもろすぎるやろ」
 笑いがようやく収まったのか、魄狼が言った。
 そう言われても、と口篭る。
 俊宇は今日アルバイト帰りにはち会った仲間のことに関して、魄狼に報告をしていた。
 四神伝説、異世界から降臨する筈の巫女、彼女を守る七星士達。俊宇自身もとても信じられない類の話だった。
「まさかあの話(、、、)が全部ほんまやったとはなあ」
 ――あの話?
「幻狼、お前が会うた奴はどんな奴やった? 字は?」
 幻狼とは魄狼が俊宇につけた二つ名のようなものだ。俊宇も魄狼から与えられた『厲閣山』という名のチームを率いる時は、幻狼と名乗っている。
「鬱陶しそうな前髪してはりましたわ。色白で……頭良さそうな感じやった。確か大学生とか言うてましたし。字は、井戸の『井』です」
「なんや、そしたらあいつのとこか」
「え? あいつて……知ってはるんですか?!」
 まあな、と答えて魄狼はジョッキを仰いだ。
 ――な。
「なして知って……! ちゅうかなして俺に」
「幻ちゃん、肉無うなるで」
「うええ、え?!」
 見下ろすと、確かに網の上から特選カルビが消え去ろうとしている。俊宇は慌てて自分の分を確保した。
「まあ、そう慌てるな。すんません、特選カルビとハラミ五人前追加で――他には?」
「ホルモンセット!」
「ウーロン茶」
「あとホルモンセット一つ。それとウーロン茶を出来ればピッチャーか何かでくれませんか。――ええ、おおきに」
「……お前……」
「ええやろ、お前どうせウーロン茶しか頼まんのやから」
 ウーロン茶を頼んだ部下に向かって爽やかに言い返したあと、魄狼は俊宇を見やった。
「俺がなして知ってるか、不思議か?」
「、はい」
「そうか。で、お前は今後どないするつもりなんや」
 聞くだけ聞いておいてまさかのスルーである。
 俊宇はツッコミを入れることもできず、魄狼の問いに答えるしかなかった。
「どないするいわれましても……、そいつがいうには巫女がやって来ぃへんと話にならんらしいですし……」
「巫女か……。しかしこれでお前がほんまにそういう宿命を背負っとるっちゅうことが証明されたな。良かったやないか」
「……ええですかぁ?」
「ええよ。そない過激でスリリングでおもろい宿命背負った奴、そうそうおらんで。羨ましいくらいや」
「それはお前がスリル好きの快楽主義だからだろ。一緒にしてやるなよ」
「せやかて、決まっとるもんはしゃあないやろ。現実を否定しとっても始まらん」
 横から入った部下のツッコミを一蹴しつつ、魄狼は「幻狼」と俊宇を呼んだ。
「お前、今更眼ぇ背けて逃げるなんてカスみたいな真似をするつもりやないやろうな」
 口元は微笑んでいるが眼は笑っていない。
 そんな魄狼を見やって、俊宇は小さく息を呑んだ。
「ええ加減、腹括れ。自分自身を認められんような奴は、ほんまに強くなんかなれへんで」
「っ……、はい! 腹ぁ括ります!」
「よし。せやったら飲め」
「頂きます!」
 半ば自棄になって頷いた俊宇は、ジョッキに手をかけて中に入っていたビールを一気に飲み干した。
「旨い!」
「……お前らTPOを考えろよ」
 上着は脱いでいるものの思いっきり学生服姿の人間に酒を勧めた上司とその誘いに寸分の迷いも見せず乗った現役高校一年生に向かい、ウーロン茶を啜っていた部下が呆れてツッコミを入れる。幸い彼らが座っている席は個室だったので注意を受けることはなかった。
 魄狼がとぼけた顔をして言った。
「ビールなんて飲んどる内に入らんやろ」
「入るだろ。めちゃくちゃ入るだろ」
「まあまあ。幻狼の謎が無事解けた祝いっちゅうことでええやん。なあ幻ちゃん」
 間に入った攻児が笑顔で語りつつ、俊宇の空いたジョッキに自分のジョッキのビールを注いだ。個室の入り口を振り返り「すんませーん、生とレモンサワー一つ」と店員に声をかける。俊宇より二つ年上の彼も現役高校三年生だが、少年達の飲酒は日常茶飯事らしく誰も止める者はいなかった。
「最低でも一歩は前進できたんやし。お前の能力がえらいもんやっちゅうことはよう知っとるけど、そう考えすぎることはないと思うで。その力の存在理由と使用目的が明白になったんやから、納得して時が来たらその為に使うたらええんとちゃう?」
 七星士であるからその力を得て、巫女を守るためにその力を使用する。
 確かに存在理由と使用目的はこれで明白になった。
 ――せやかて……。
 そう単純に納得できたら苦労はしない。自分は既にもう、沢山の人や物をこの力によって傷つけたから。
 黙ってビールを啜る俊宇を見やり、攻児がふっと笑みを見せた。
 まあ、そう簡単にはいかんか――と親友の眼が言っている。
 そうだ、そう簡単にはいかない。独りで思い悩んでいた年月が長すぎる。今日の出来事だけではとても清算しきれない。
 ――ああ、あかんあかん。
 社長に腹括るゆうたんや。こんなんやったらあかん、こんな揺れとったら――また恥を晒すだけや。
 燃え盛る炎の中で、弱さしか露呈することができなかった、あの時のように。
「失礼しまあす、お飲み物をお持ちいたしましたあ」
 女性の店員が間延びした声を発して注文したドリンク類を運んできた。
「おお、マジでウーロン茶ピッチャーできた!」
「あはは、ほんまや」
「ほれ、全部飲めや」
「……あのなあ……」
「お肉は只今お持ちいたしまあすぅ」
 店員が去ったあと、咥えた煙草に火をつけて「それはそうとな」と魄狼が言った。
「どこの世界でも一緒やけど、でかい力を持っとる奴ゆうんは物でも人でも、色んなものを引き付ける。伝説やら能力やらについては俺は門外漢やから何とも言えんが……幻狼、暫くは周囲に気ぃつけとけ。お前は身に染みて解っとるやろうが、力を持つゆうことは武器と災難をいっぺんに手に入れるっちゅうことや。力が在るゆうだけで狙われることもあるやろう。覚悟はしておけよ」
 ――力が在るゆうだけで。
 それは上京前――大阪時代にも何度かあった。
 大人は俊宇を利用しようとし、子供は俊宇を排斥しようとした。どれも楽しいとはいえない経験だった。
 ――覚悟、か。
 俺以外の仲間――今日会うたあいつも含めて、あとの六人もこんなしんどい思いをしながらそれぞれ能力を抱えて生きとるんやろうか。
 ふと、そんなことを思った。
 























091223