高校生と大学生の健全な日常
遠慮?
死語やろ。
高校生と大学生の健全な日常
赤点取ったら仕送り停止、と上京前に母親に宣言された。
中学三年間、常にそのデッドライン上を行き来していた幻狼は上京し高校に進学すると、赤点を免れる為にテスト勉強なるものを余儀なくされていた。
のだ、が。
「あー……ヤりたい」
向かい合い家庭教師の真似事をしていた同居人の攻児が、ぶっと吹き出した。
「幻ちゃん幻ちゃん。その発言は正常な一般男子高校生として全然間違うてへんと思うけど、お前のキャラとちゃうんやないか」
「んなこと言うたってお前、俺がどんだけ井宿と会うてへんと思うてんねん。二週間やで、二週間! 溜まり過ぎて死ぬわ」
テスト勉強が煮詰まりすぎてテンパッた頭を抱えながら、幻狼はテーブルに突っ伏した。
明日を乗り越えれば期末考査は終わる。テスト勉強から開放される日がとても待ち遠しい所為か、前日の今日は全く勉強に身が入らなかった。
「あはは、若いな(笑)」
「カッコで笑うな! あーもうほんまにやる気出えへん……」
「あ、せや! 俺が井宿はんのモノマネをしてや」
「殺すぞ」
「すみません」
声音は似とる自信があるんやけどなあ、とぼやく攻児を横目に溜息を吐く。
――ようやくほんまにちゃんと手に入れたのに。
ひと月ほど前のこと――幻狼は井宿に纏わるある事件に巻き込まれた。否、自ら首を突っ込んだ。名ばかりであった恋人の窮地を救う為に。
結果として、井宿は己の過去を乗り越え、昔の自分に折り合いをつけることに成功した。そして幻狼を振り返り、付き合い始めてから初めて――真正面から幻狼を受け止めてくれた。
好きだと、はっきり言ってくれた。
これからも君と一緒にいたい、と。
「……幻狼君、何をそんなににやけているのかな」
「べ、別にっ……!」
「いややなあ、思い出しにやけですか? 井宿はんの痴態を赤裸々に思い出すんは結構やけど、興奮しすぎて勃起する前に風呂か便所に行ってくださぶはっ!!」
「やかましいわ! お前の前で勃つか!」
「げ、幻ちゃん微妙にツッコミ所おかしい……っちゅうか辞書は止めて頼むから」
攻児は鼻を押さえながら、幻狼の手から放たれ顔面にヒットして床に落ちた英和辞典を拾った。
ペットボトルのスポーツドリンクをラッパ飲みし、一息入れて落ち着いた幻狼はそういえばと親友を見やる。
「ちゅうかお前は?」
「え?」
「彼女おらんのか」
「おらんよ」
「ほんまに?」
「ほんまに」
「この間うちに連れて来よった子は?」
冷めたコーヒーを啜っていた攻児が咽る。
先日、珍しく――というか初めて――同居人が家に女の子を連れてきた。大学でゼミが一緒の子で、共同研究課題の為に一緒に資料制作をするのだという。
幻狼はバイトがあったので、顔を合わせただけで直ぐに家を出たのだが――。
「あのね、幻狼君。君に紹介する時俺は、お・と・も・だ・ち、やと言うた筈ですが?」
「え、ほんまにただの友達なん? お前のことやからてっきりとっくに喰っとるもんやと」
「真顔で言うなや。喰うてへんて。友達とはヤりとうないんや、ダチでおられなくなるから」
高校時代の派手な女性遍歴――というか喰い散らかし歴――を知っている幻狼には、意外な台詞だった。
確かに先日やって来た子は、今まで攻児が相手にして来たような女とタイプが違っていたが。
「そうなんか? お前の好みって実はあんな子なんやなーと思っとったんやけど」
「実はってなんやねん。ちゅうか俺の話はええやないか」
「ようないわ。お前なして恋人作らへんのや? もてるのに」
ここぞとばかりに攻撃を続ける。いつも防戦一方な幻狼は、たまにこうして二歳年上の親友で遊ぶのだった。
「そんなもん、面倒やからに決まっとるやろ」
「何が面倒やねん」
「全部。口説くのもデートも何もかも面倒臭い」
「お前、人を好きになったことないんか」
攻児が眉を顰めて凍りつく。
その様子を眺めていた幻狼はああそうなのかと思いつつ、それならば仕方ないと呟いた。
「まあ、生きとったらいつかは」
「待って! 待って勝手に結論を出さへんで頼むから…………っちゅうかなしてこんな話になっとるんや意味分からん。幻狼君勉強しようか」
「逃げんな。お前十九にもなって未だに初恋すらしてへんとか幻ちゃんマジで引くわー」
「お前何を恋愛巧者ぶっとんねん、どんだけ上から目線なんじゃボケ。初恋くらい経験しとるわ」
「えー? 誰? どんなん?」
鬼の首を取ったようににやりと笑う。
攻児はふっと哀愁を漂わせると、懐かしげに視線を宙に放った。
「かわええよな、愛瞳ちゃん」
「っお、お前ほんまか?!」
「ツンデレで俺好みやったし。お前の手前、手は出さんかったけどな」
「……っ嘘やろ……!」
まさか姉の名前が出てくるとは思わなかった幻狼は、大いに狼狽した――が。
攻児が悪びれもなくぺろっと舌を出して、
「うん。嘘」
と言いやがったので、幻狼はテーブルの下にあった広辞苑を手に取った。
「待って! 待ってごめんなさいソレは流石に鼻血出るっ!」
「やっかましいわこのボケが! もう少しマシな嘘吐かんかいっ」
「あのねえ幻ちゃん、俺がなしてもてる解るか?」
「あ?」
「それはな、」
決め顔を決め角度で幻狼に見せ付けて、親友は言った。
「ミステリアスやからや」
キラーンと何処からともなく効果音が鳴り響く。
暫しの間のあと、幻狼は手にしていた広辞苑を元の位置に戻しシャープペンシルを握った。
「勉強するか」
「……そうっすね。幻狼君がやる気になってくれて僕は嬉シイデス」
「なして片言やねん」
「ちゅうかいっそ井宿はん呼んだら? あの人頭ええんやろ」
「無理。理性持たん」
「あはは、若いな」
「棒読みすな」
「え?」
「は? え、って?」
「え? いや、俺何も言うてへん――」
攻児が言葉を切り、真横を向いた。
一瞬遅れて幻狼もそちらを見る。
瞬間、二人はうわああああと悲鳴をあげた。
そこにはいつの間にか、いつものように高級スーツに身を包んだ魄狼が立っていた。
「しゃ、社長ッ?!」
「やっほー☆」
「やっほーやないですよ、いつからそこにおったんですか!」
「『あー……ヤりたい』くらいから」
「真似せんでもええです! ちゅうかせんでくださいお願いしますからっ」
そうか?、とボケ役を好む某社の代表取締役は軽く笑んだ。
魄狼は幻狼の恩師であり、攻児の後見人でもある。要するに逆らえない相手だ。
「何か御用ですか?」
「ああ、お前の初恋話にも非常に興味があるんやけどな、攻児。今日はとりあえず幻狼や」
「へ?」
「俺が東京でのお前の親代わりである以上、大阪におるお前の家族に心配かけるような真似だけは阻止せなあかんねん。せやからきっちり赤点対策せんとな」
ぽん、と重い手が幻狼の両肩に置かれる。
「安心せい。今夜みっちり俺が躾け……もとい、鍛え……いや、教えたるさかい」
「えっ……いや……あの……」
「心配すな。俺は学生時代『一夜漬けの神様』と呼ばれた男やで」
「えっ……いや……その……攻児助けて」
「無理。絶対無理。死んでも無理。生まれ変わっても無理」
――ですよねー。
こうして魄狼に部屋をジャックされた二人は、朝まで『魄狼式勉強法〜テスト範囲内を全て覚えるまで寝かせまてん〜』を学ぶのであった。
ちなみに次の日に行われたテスト(二教科)で、幻狼はクラス内で最高得点を取った。当日の彼の緊張ぶりと神経衰弱ぶりは教師とクラスメイトを困惑させ、結果的にクラス平均は下がったそうだ。
期末考査から解き放たれた少年は学校が終わると、恋人が通っている大学まで癒しを求めて奇襲に行ったという。
そして初恋話を明かしたくがない為に、攻児が魄狼から逃げ回っているという噂があるとかないとか。
天下無敵、傍若無人、天上天下唯我独尊な社長には勝てない、高校生と大学生であった。
101024