天日の下に




 俺達は皆、
 残月に祈り、火輪を追う。






 天日の下に






 空が硬い。
 硬軟の在る無しなど解る筈もないのに、攻児はそう思った。
 砦の窓から見上げる空は快晴だ。太陽も燦々と照っている。いい天気だ。
 それなのにどこか違和感を感じる。いつも通りの空である筈なのに。
 ――喧しい。
 遠くの方から耳に入ってきた喧騒に対し、僅かに眉を顰める。
 大変だあと叫びながらどたばたと廊下を突進してきた男が部屋の中に飛び込んできた。
「伝令、伝令です」
 入室してきたのは今日の当番の伝令だった。
 伝令とは至t山を運営していく上で必要と思われる情報を随時、幹部達に知らせる役である。早い話が情報伝達係だ。
 息を切らせて走ってきた伝令に向かい、攻児は視線を空から離さずに「なんや」と尋ねた。
「く、倶東国が、攻めてきました。戦争です、開戦です……!」
 攻児は空を見上げたまま眼を瞠った。
 開戦、ということは――。
「倶東側が青龍の召喚に成功したってことか。思ったよりも早かったな」
 まったく危機感を感じさせない口調で、攻児の近くに座っていた桓旺が言った。
 部屋に集まっていた幹部達がざわめき立つ。
「お前が敵の首領だったら、まず何をする?」
 もし己が四神の神通力を自由に扱えたら。
 どこか愉しげに言い放った桓旺に、攻児は真顔で即答した。
「敵戦力の無効化」
「……能力使えなくなってるかもしれねえな、うちの頭は」
 煙管を咥えながら冷静に述べる至t山の古株を一瞬横目で見たあと、攻児は再び空に視線を戻す。
 至t山の当代の頭は今、宮殿にいる――筈である。
 宮殿の内情に精通している情報屋からの情報であるから、まず間違いないだろう。朱雀七星士と巫女は長い旅を終えて帰還した、との話だった。
 ――朱雀はもう召喚出来へんのか。
 具体的な召喚基準を把握していない攻児には、現時点においてその判断がつかない。
 だが朱雀が召喚出来る状態であれば、青龍に対抗してとっくに召喚しているだろう。しかしそれらしい情報は一向に入って来ていない。
「攻児」
 壁を背に床に座り込んでいる古株が呼ぶ。
「幻狼からこの山を任されたのはお前だ。だから――お前が決めろ」
 俺がおらん間は頼むで、攻児。
 頭に就任したばかりの少年はそう告げて、己の宿命を果たす為に山を降りて行った。
 倶東国の進軍、開戦、戦争。
 朱雀七星士であるなら戦地に借り出されるだろう。そうでなくても頭なら――幻狼なら、進んで戦渦に飛び込んでいきそうだが。
 ――もしも……ほんまに、能力が使えへんようになっとったら……。
 幻狼が強いのは知っている。
 どんなことがあっても負けない男だということは知っている。
 だが人間は、人間である限り、いつどんな死に方をしてもおかしくはないのだ――ということも、攻児は知っている。
 刺されても燃やされても死なない、たとえ殺されても必ず息を吹き返すだろうと周囲にいた誰もが思っていた男は、病で呆気なく逝った。
 本当に呆気なかった。
 自分の世界を変えてくれた恩師は――大袈裟に言えば自分にとっての神様は、微笑みながら眼を瞑るとそのまま息を引き取った。
 人はいとも簡単に死ぬのだ、そして死んだら二度と蘇らないのだと、先代が亡くなった時に攻児は改めて思い知った。
 だから――朱雀七星士だからといって、天から人並み以上の加護が与えられるわけがないのだ。
 死の可能性は万人に対して平等なのである。
 攻児は眼を伏せた。
 とても最悪で残酷な未来を想定してみる。
 先代を亡くした同じ年に、当代の頭を亡くす。
 それは至t山と――攻児自身の破滅を意味する。
 月を失い、かつ太陽まで失っては、生きていけない。生きる意味を見出すことができない。
 拳を握り締める。胸にじんわりと痛みが広がってゆく。
 自分の心を乱し、振り回すのは、いつだって『至t山の頭』だ。
「カンさん」
「なんだ」
「……砦、任せてええか」
 苦味の強い薬を吐き出すように、声を発する。
 一拍の間を置いて桓旺が静かに「ああ」と頷いた。
「それが一番いい。きっとな」
 了承を得て、攻児は三度空を見上げた。
 照りつける太陽を睨み上げて、覚悟を決める。
 ――お前は怒るかもしれへんけど。
 それでも駆けつけずにはいられない。
 火輪はまだ失えない。失いたくない――。
 攻児は振り返って、その場にいた者達に告げた。
「戦地におる頭を援護する。ついて来たい奴は武器と死ぬ覚悟を携えて外に出ろ!」
 一瞬の間ののちに、火が灯る。
 皆解っている。
 俺達はいつだって火輪を追うのだ。
 至t山の頂を。
「こっちはサイと、あと数人残してくれりゃ充分だ。残りは連れて行け」
 桓旺の発言に、済融が「えッ」と声をあげる。
「俺も行く気満々やったのに!」
「先代の墓守役、他の誰かに譲っちまっていいのか?」
「あかんあかんあかん無理。それ俺の。絶対俺の。……ちぇーっ、久々に暴れられると思ったんやけどなあ」
 しゃあないか、と亡き先代の親友は肩を落とした。
 倶東国との戦に便乗して、他勢力や無力な一般市民たちから略奪を企てる賊も多く出現するだろう。墓荒らしが出現する可能性も大いに有り得る。
 だが先代の両翼を担っていた桓旺と済融が居残るのなら、砦も容易には落ちないだろう。至t山(ここ)は彼らにとって何よりも大切な場所であり、何よりも大切だった人が眠っているところであるから。
 攻児、と桓旺が呼ぶ。
「死なすなよ」
 幻狼を。
 力強い視線を受け止め、攻児は小さく頷いた。
 身を翻し、出陣の準備に向かおうとして――強く腕を掴まれる。
 顔を近づけて、桓旺は言った。
お前もだ(、、、、、)
 死なすな。自分自身を。 
 例えそれが、頭を守る為であっても。
「幻狼は、お前がいないと駄目だ。魄狼がそういう風に仕込んだ。この山は――お前と幻狼が必要なんだよ。どちらか一方が欠けたら終わる。……解るな」
「……うん。でも――約束はできへん」
 もしも目の前で幻狼が危機的状況に陥っていたなら、攻児は迷わず自分の身を放り投げて彼を救うだろう。頭で解っていても身体の、本能の反射には逆らえない。
「努力はするけど」
「それが大事だ。――行って来い」
 大きな掌に背中を押される。
 至t山の副頭は確固たる足取りで部屋を出た。
 天日の下に、馳せ参じるために。


   
  
















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