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パフューム



 いつも違う匂いがする。 
 
「どないしたんや?」
 不思議そうに首を傾げる翼宿の顔には、若干の幼さが残っている。十七歳という年齢から考えてみれば当たり前のことだが、その顔に見つめられる度、井宿は何だか居た堪れなくなる。妙な罪悪感に身を蝕まれて、逃げたくなるのだ。
「いや……最近、会う度に違う匂いがするなと思って」
 七つ年下の恋人から眼を逸らして、井宿はマグカップの中のコーヒーを啜った。ガテマラの匂いがふわりと香る。
 ああ、と翼宿が声をあげた。
「知り合いに頼まれてな、メンズもんの香水の……なんていうんやっけ、こういうの。試着やなくて」
「試用モニター?」
「それ。何種類かあって毎日違うのつけとるんやけど、あんまこれっちゅうのないわ」
 知り合いとはどこの知り合いだろうと思いながら、カップをテーブルの上に置く。ガテマラの香りが抜けた鼻孔に翼宿がつけている香水の匂いが入ってきた。
 ――シトラスの香り。
 覚えのある匂い。昔、誰かが白く透明な瓶を持ってきて……。

 お前もつけてみろよ――。
 芳准――。

「君は」
 蘇りかけた記憶に蓋をする為に、無理矢理声を出す。
 人前では思い出せない。思い出してしまったら、辛くて口が効けなくなるかもしれないから。
 だから思い出してはいけない――彼の前では。
「香水が好きなのか?」
「たまにつけたりするけどな。別に特別好きやいうわけでも……あ、お前もしかして苦手なんか? すまん、これけっこう香り強いやろ」
「苦手ではないよ。何と言うか……君はそういうのが似合うな」
 そうかあ?、と唸って翼宿が床に寝転ぶ。シルバーのリングピアスが照明に反射して、鈍く光った。
 種類が違う、と思う。人間としての種類が、自分と彼とではまるで正反対だ。井宿は自分で香水など買ったことはないし、アクセサリー類だって身につけたことがない。たまに数珠型のブレスレットをする時はあるけれど、それはお洒落のためではなく――自戒のためだ。
 翼宿は見た目も中身もやることなすこと全て派手だけれど、彼の言動にはいつも一本の強い芯が通っている。そして彼は決してその芯からぶれない。だからこの少年は強い。それもでたらめに。
「いいな」
 小さく漏れた呟きを、翼宿が耳聡く聞きつけた。
「あ? つけたいんか、これ」
「えっ。あ、いや……」
 起き上がった翼宿を片手で制すが、もう遅い。
 翼宿は首の後ろに指を当ててから、その指を井宿の項に当てた。指先で撫でられた皮膚が敏感に反応して、井宿は思わず顔を伏せた。シトラスの香りが身体に浸透していく。
 ――同じ。
 あの時と同じ匂い。同じ香り。
 まだ――生きること自体が楽しくて仕方なかったあの頃の。
「井宿」
 呼ばれて僅かに顔を上げる。すると、眼前にいた翼宿が鮮やかに唇を攫っていった。
 柔らかな感触に浸りながら眼を瞑ってしまいたかったけれど、出来なかった。瞑ってしまえばシトラスの香りに導かれて、記憶の蓋を開けてしまうと思ったから。
 顔を離した翼宿がじっと井宿の顔を見つめる。
 彼の顔から眼を逸らしたい衝動に駆られて、井宿は困った。ここで逸らしてしまえば、変な印象を与えてしまいそうで――。
「……遠い」
 ――え?
 尋ねる間も与えられず、強く抱き締められる。
 香水の強い香りが体中に回って、頭がふらふらした。
「翼宿?」
 呼びかけには応えぬまま、少年が甘えるように井宿の首筋に顔を埋めた。
 彼の頭を抱き、撫でてやりながら優しく声を落とす。
「匂いに酔ってしまうよ」
 ん、と翼宿が腕の中で唸り声をあげた。なんとこの状態で寝に入っている。
 少年のマイペースぶりに苦笑しつつ、井宿はマグカップに手を伸ばしてコーヒーを啜った。
 ガテマラの匂いが、再びシトラスの香りを消し去った。


 











 

080112