スイート・デイ




 とりあえず、言いたい。
 どうしてこうなった。 




  
 
 スイート・デイ






 イチゴのタルト、ザッハ・トルテ、甘栗のモンブラン、二種のチーズを使用した濃厚ベイクドチーズケーキ――。
 一枚の白いプレートにずらりと並んだラインナップを眺め、翼宿はごくりと息を呑んだ。
 甘い香りが鼻腔を擽る度に、顔が青くなる。
 少年は声を大にして叫びたかった。
 どうしてこうなった――と。
「あ、これ美味い。井宿はん、喰うてみて」
「ありがとう。……ああ、本当、美味しい」
「攻児、それ何だ?」
「抹茶のムースロールケーキ。カンさんも喰う?」
 おう、と斜め向かいに座っていた男が隣りの皿に手を伸ばす。
 同席している三人が和気藹々とスイーツを楽しんでいる中、翼宿は孤独だった。何故なら彼は甘いものが苦手だからだ。
 ならば自分はどうしてこんなところにいるのか。
 たらりと頬に汗が流れる。
 ――せやから……!
「どないしてこうなった……ッ!」
 恋人――井宿(甘党)と、知人のオッサンである桓旺(甘党)がプレートを持って席を立った直後、翼宿は親友(甘いもの好き)に詰め寄った――『甘党』と『甘いもの好き』の間には超えられない壁があるらしい――。
 攻児は簡潔に答えた。
「カンさんの誕生日祝いになんかしたろと思うて本人に希望を聞いたら『ケーキバイキングに行きたい』っちゅうからオッケーしたんやけど流石に男二人で入るのはどうかと思ったんで甘党の井宿はんを誘ったらお前がついてきました。以上」
「ついてきました、やないわッ! っちゅうか思いっきり注目集めとるやないか!」
 小声で叫びながら親友の胸倉を掴んで揺さぶる。
 他に女性しかいない空間で、男四人組はとてつもなく目立っていた。入店時からずっと好奇の視線に晒され続けている。
「まあ、男だけやしなあ。言いたないけどオッサンも井宿はんもお前も俺もある意味目立つし。しゃあないんちゃう?」
「……お前まさか自分の被害を少なくするために井宿を呼んだんか?」
「まさか。分散できるかなとは思ったけど、無駄やったな。井宿はん、人の目なんか全く気にせんで楽しんどるし。いや〜、お前が来てくれて良かった良かった。一番居心地悪いやろ?」
 あはは、と笑う親友の顔面を思い切りぶっ飛ばしたい衝動に駆られつつ、翼宿は肩を落とした。甘い匂いを嗅ぎ続けて気分が悪い。ツッコミを入れる元気も沸かず、不機嫌そうにブラックのコーヒーを啜る。
「ちゅうかお前もついて来なければ良かったのに。目的地はケーキバイキングやって井宿はんに聞いてたんやろ?」
「聞いとったけど……お前とカンさんっちゅう面子が胡散臭すぎて、ちょっと心配に……」
 なってついて来た、のは正直正解だったと思う。
 翼宿はちらりとケーキコーナーを見やった。
 甘味好きな恋人と知人のオッサンが、楽しそうにケーキを選んでいる。いつもよりも若干、はしゃいだ笑顔で。
「……何か嫌や」
「何が?」
「好きなもんが同じってええなーとか、あいつなんかいつもより楽しそうやなーとか、やっぱ年下より上の方が付き合いやすいんかなーとか、俺ってあいつから見たらまだまだガキなんかなーとか、そんなこと思っとるオノレがめちゃくちゃ鬱陶しいわボケとかああああ……ッ」
 テーブルの上で頭を抱える。
 羨望から嫉妬を経て、最後は自己嫌悪――甘ったるい空気に包まれている所為もあり、翼宿のテンションは下がる一方だった。
 一緒に楽しんでいる相手が朱雀の仲間であったら――美朱や鬼宿や柳宿だったら、こんな風に感じることはなかっただろう――否、軫宿辺りは微妙かもしれないが。
 問題は、相手が実はけっこうイケメンでガタイも良く更に懐も大きい、井宿よりも年上の男であるという点だ。しかも彼と趣向が合う。
 もしも万が一、否、億が……兆が一、奪い合う、なんていう構図になったら。
 ――か……敵わへ、
 んくない。敵わんわけがない。大丈夫大丈夫。超余裕。マジ超余裕。あっはっはっ。
「…………はあ」
 珍しく悲観的になってしまい、溜息を漏らす。
 そんな考えに至ってしまうのも全部、甘い甘いケーキの所為だ。
「まあ、そう気ぃ落とさんと。一応、お前のことも考えてパスタとかキッシュとかも揃えとる店にしたんやで。喰って腹満たせば元気になるって。それに――井宿はんがめちゃくちゃ楽しそうなんは、単に好きなもんがぎょうさん目の前に広がっとるからテンション上がっとるだけやと思うで」
 塩キャラメルのケーキを食べながら攻児が言う。
 こいつもよく喰うなと思いつつ、翼宿は親友に尋ねた。
「なあ。カンさんってノーマルやろ」
「何が」
「せやから……なんちゅうか、ホモとかバイとか」
「性的指向? ヘテロやろ」
「ヘテロって何」
「異性愛。……っちゅうかお前もヘテロやったわけやから、人間何が起こるかわからんとすると相手がヘテロやろうが何やろうが安堵する理由にはならへ」
「よし解った店出たらお前ぶっ飛ばすわ」
「え、やだ幻ちゃん酷い……っ、俺は幻ちゃんのサンドバッグやないんやからねッ!」
「でかい声で何いうてんねんアホンダラッ!!」
 ああ、やっぱりそうなんだ……と、ああ、やっぱりそうなんだ……!、とに一気に空気が割れる店内。
 女性達のがっかりした視線と、更に輝きを増した好奇の視線を浴びつつ、翼宿はまた深い溜息を吐いた。



 ***



 店を出て、何とか二人きりになり――親友があえて空気を読まず……否、むしろ読みきった上で解散を渋るも、知人のオッサンが空気を読み彼を引きずり消えてくれた――翼宿は多少安堵して恋人の隣りを歩いた。
 横を歩く井宿は好きなものを思う存分に摂取できたからか、とても上機嫌だ。こんなに目に見えて機嫌がいいのも珍しいと翼宿は思う。いつもは冷静かつ、森羅万象に対して諦観している素振りを見せるのに。
「今日、楽しかったか」
 ぽつりと尋ねる。
 井宿は「ああ」と微笑した。
「楽しかったよ。ケーキも美味しかったし。キッシュはどうだった?」
「ああ、美味かった」
 正直、不覚にも「あ、来て良かったかも」と一瞬思ってしまったくらい美味しかった。
「キッシュって喰うたことなかったんやけど、あれ美味いんやな。ベーコンとほうれん草のやつ美味かった」
「俺も味見したかったけど、流石に満腹だったよ」
「そらそうやろ。あんな甘いもん、ようぎょうさん喰えるな」
「今日の店は、全体的に甘さ控えめだったと思うけどな……。でも嬉しかった。流石に男一人じゃ入れないから」
 どうやら井宿も前々からケーキバイキングに行きたかったらしい。
 じゃあ今度は二人で行こう、と言いたい気持ちもなきにしもあらずだったが、翼宿は結局口を噤んだ。あの女性に支配された空間は男二人でもきついだろう。攻児が躊躇っただけのことはある。
「今度は朱雀のみんなでも誘えばええやろ。美朱とかめっちゃ乗り気で参加しそうやし。確か柳宿も甘いもん平気やったな」
「美朱ちゃんが参加したら、お店は大変だろうなあ」
「あいつほんまに全部食い尽くすかもな」
「全種類制覇は軽いだろうね」
「元を倍以上取れるやろうな。どこまで喰えるか見てみたいわ」
 くすくす笑いながら歩く。
 たったそれだけの会話で機嫌が良くなってきている自分に、少々呆れながら。
 ――しゃあないやん。
 楽しいねん、こいつと一緒におると。
「翼宿。甘いもの苦手なのに、今日はつき合わせてすまなかった」
「え? いや、ついてったん俺やし。っちゅうかお前も付き合わされただけやろ」
「俺は楽しませて貰ったから。久々にケーキバイキングに行けて嬉しかったし」
「久々? 前にも行ったことあるんか」
「ああ。昔……高校の頃に、一度」
 井宿は懐かしむように宙を見つめた。
 それは以前では有り得なかったこと。己の過去を受け入れ、乗り越えたからこそ伝えられる呟き。
 彼の隣りで彼の言葉を聞くことができる喜びを、翼宿は噛み締める。
「前も楽しかったけど、今日も楽しかったよ」
 気遣ってそう言ってくれているのだと、何となく解った。
 井宿のその気持ちが翼宿にはとても嬉しかった。
「すまん、俺――めっちゃアホなこと考えとったんやけど、なんか吹っ飛んだわ。オッサンなんか気にしてもしゃあないし」
「おっさん?」
「今日の甘いもの好きのオッサン」
「ああ、桓旺さん。良い人だよな、大人だし」
 ――あれ?
 吹っ飛んだ筈のアホな感情が、瞬時に胸中に舞い戻る。
「えっ、お前ああいうの好きなん?! あのオッサン見た目はそこそこええけど中身はけっこうがっかりやで?」
「え、いや……落ち着いている人だなと思ったんだけど……それに、攻児君を制御出来るなんて凄くないか?」
「それは凄い」
 確かに攻児は社長――魄狼――と桓旺の言うことだけは聞く。前者に至っては無条件で、後者には状況によるものの概ね従っているように思う。
「思えば、君の知り合いは色んな意味で凄い人が多いな。魄狼さんたちやご家族も含めて」
「あー……確かに社長とおかんには死んでも敵わんわ。せやけど、お前の知り合いの住職も相当やろ。あの生臭坊主」
「まあ……でも、あの人はあれでとても真面目な人なんだよ」
「真面目なんはお前やろ。誰に対しても真摯やし……」
 ――あ。
 そうか。
 人に対しての評価と態度が誠実だからこそ、見ている方が誤解しやすいのかもしれない。
 ――……性分やん……。
 それが井宿の性質だというなら――勝手に誤解して悶々としている方が愚かだ。
「愚直なだけだよ。先の住職の弁だけれど」
「お前がアホなら俺なんかハイパーアホや。いや三段活用するならアホ・アホー・アホストか?」
 ぶっ、と井宿が吹いて笑った。
「アホストって、アーネスト・ホーストの略みたいやな」
「頼む、これ以上笑わせないでくれるか……。真面目な話、俺から言わせると君は阿呆なんかじゃないよ。君が阿呆なら俺は愚直どころじゃ済まない」
「あはは、同じこと言うてるな、俺ら」
 結局、互いを褒め合っている。
 否――敬っているというべきか。
「いや、それは本当に、真剣に思っているんだ。……君には敵わない」
 真摯に呟く横顔を見つめる。
 ――あかん。
 何や、今、凄い……キスしたい。
「お、俺やって、お前には敵わんて」
「そうかな。そう在れているんだったら、嬉しいけれど」
 振り向いた井宿が微笑む。
 翼宿だって嬉しい。嬉しいが、多少複雑でもあった。
 ――井宿……。
 お前……こんな何もできへんような場所(※路上)でその顔は生殺し過ぎるやろ……ッ!
 かくして少年は、恋人の家に辿り着くまで苦行を味わう羽目になる。
 とりあえず平常心を保つ為に、脳内で親友をボコっておこうと翼宿は思った。




















 101229