右膝(4)
あれから――雨は直ぐに止んだ。
日が落ちて夜を身に纏った空には雲一つなく、満天の星が輝いている。
窓の縁に座り、酒を仰ぎながら俺はその空を眺めていた。ここから見上げる星空が一番綺麗な気がする。
「それからどうしたんじゃ?」
部屋の奥の席にはこの建物の責任者――
興善寺と呼ばれる寺院の和尚がいる。例の、俺に『七つの星の一つに会う』とか予言した、占星術が得意の生臭坊主だ。
「泣き疲れて眠っちまったから寝かせてる。ここ数日、雨で眠れなかったみたいだ」
酒盛りをした夜も、あんな夜更けまで起きていたのは、寝付けなかったからだろう。激しい雨が嫌な記憶と直結しているらしい。
「ほう。それで、どうするんじゃ?」
「どうって……暫く預かるさ」
「仲間に引き入れるのか」
「まさか。……言いたかないが、俺の手には負えねえ。あれはあんた向きだ」
和尚は張りのある声で笑った。
「わしに押し付けるというのだな」
「努力はしてみるけどな。多分、いずれ世話になる」
手を伸ばすことができても、俺はきっとあいつを救えない。
勝手な話だが、俺はそういう人間じゃない。そういう人間だったら――そう、仏門にでも入っている。とっくの昔に。
「ふむ……朱雀七星士の世話、か。なかなか楽しそうじゃのう」
「あんたなあ……」
「これも星の導きじゃろうて。お前さんも幸運じゃのう」
「何が幸運だ」
和尚は愉快気に茶を啜った。その軽薄な横っ面をぶっ飛ばしてやりたい、と俺は思った。相変わらず坊主らしくない爺だ。
「真面目な話をすればなあ、影喘。東西南北の四神と二十八宿は、天帝がこの世界に授けたものじゃ。何故この世界を統べる天上人が、そのような真似をしたと思う?」
「……娯楽の一環じゃねえの」
「はっはっはっはっ、不遜な男め。いやわしも最初はそう思ったのだがな」
――思ったのかよ。
どうしようもない坊主だ。
「天帝はな、賭けておるのだよ。人間に」
「は……?」
「自分の介入を必要最低限に留めると決めて、東西南北の主要国に四神を配置し、二十八つの宿命の星を墜とした。そして世界の行く末を託したのじゃろう。人が己の力で立ち、歩く為に。だから四神というのは、人間の危機を察して発動する。七星士の目覚めはその前兆じゃな」
「つまり……四神というのは、人間が自滅しない為にある装置みたいなもんか」
「わしの考えではな。国の危機に都合良く巫女が降臨してくるのも、装置の一環と考えればまとまりが良いじゃろう。一環の流れを一言で簡単に言い表すとしたら、運命じゃな」
「運命ねえ……。異世界まで巻き込んで、世界の安寧を計ろうとしてんのか? この世界の主は」
「規模が大きくて大胆じゃのう。流石天上人、やることが人間離れしとるわい」
ああ、人ではなかったか、と和尚は笑った。
「っていうことはあれか、この国は……いずれ危機を迎えるということか」
「七星士が現れた、それが証拠じゃ。いずれがいつなのかまでは解らんがな」
「占えねえのか」
「星を読んだだけで
未来が読めたら苦労せんわい」
俺は嘆息して和尚を、いや破壊僧を睨み上げた。
「それでも自称占星術師か。ていうかじゃあ、俺にした予言は何だったんだよ。あの『七つの星の一つに会う』ってのは」
「ああ、あれか。あれは唯の勘」
本当にぶっ飛ばしてやろうか、この野郎。
俺は阿呆らしくなって窓の縁から降り、持っていた酒瓶と杯を卓上に置いた。
「とにかく……いずれ連れて来るからよ。面倒見てやってくれよ」
「それは、その者次第じゃよ」
和尚は美味そうに茶を啜り、窓に視線を投げた。先には満天の星空がある。
「己を打ち破るのに必要なのは、己の力。立ち直るかどうかは本人次第じゃろう。……まあ、全てを星の運命であると決め付けるなら、その者もいずれは復活するじゃろうて」
「楽観的だな」
「信じる想いは力になる。強く願えば、それもまた一つの力になる。人の想いほど乱暴で強力な力はない――お前さんも何か望みがあるなら、信じることから始めてみることじゃな」
――信じる……。
一体誰を。自分を? あいつを? 仏を? 天帝を? それとも――宿命を。
あいつが背負っている朱雀の星の宿命、それ自体を。
「俺ぁ……あいつを楽にしてえんだ。なるべく早く」
巫女の降臨時期など関係ない、早くあいつの笑顔を取り戻してやりたい。
もしかしたらもう取り返しはつかないのかもしれない。それでもこれ以上、心に傷を負わせたくない。
痛みに慣れることは、きっとないだろうから。
「ならば信じることじゃな。そして――諦めぬことじゃ」
俺は短い沈黙を挟み、また来ると告げて部屋を出た。
天は、相変わらず煌々しい星達によって埋め尽くされていた。
終幕
080726